人物総覧 あ 尾張藩 医者 本草家

名前 浅井貞庵
よみ あさいていあん
生年 明和七年十月一日(一七七〇)
没年 文政十二年二月二十二日(一八二九)
場所 名古屋市千種区
分類 尾張藩医・本草家
略歴

 名は正封、字は尭甫、幼名は小藤藩太、平之丞と称す。貞庵、梅園、静観堂、文燭亭等の号がある。父は正準(浅井茅渟)、母は浅井図南の女。幼にして聡明、耳目の髑るゝ所未だ嘗て忘れず、祖母其鋭敏に過ざ、夭折せんことを憂へ、城南住吉の天神祠に才智の半を獻じて寺を祈る。八歳父母を喪ひ、祖父図南に養はる。天明二年図南も亦没す。依りて孫を以て祖を承け、禄二百石を襲ひ藩学となる。時に年十三なり。特に命ありて家学を精励し、父祖の業を継ぐべきを似てす。藩又図南の門人、村上見善、山崎専三に命じて、代りて学徒に教授せしむ。是に於て貞庵京に入り、医を学ぶこと七年、天明八年郷に帰り、始めて堂に升りて書を講じ、躬から学生教養の任に膺る。寛政九年其家業に熟すると、教育に力を用ふること厚きとを賞して禄二百石を加賜す。翌年脉法の久しく伝を失ふを以て、河田倉部を薦めて之を教授せしめ、貞庵之と討論講習すること数年、遂に其奥妙を究む。十一年命を承けて始て藩医の子弟の学業を試み、以て登庸するの制を定め、爾後毎歳春秋二回、藩の用人属吏を率ひて浅井氏の第に臨みて之を行ふ。又市井医業を開かんとする者あれば、市井の事を執る者、或は医師取締試業を行ひ、之を用人若くは奉行に上申して而して後に之を許す。皆浅井氏の統ぶる所なり。同年十二月屠蘇三薬を藩主に奉るの例を開き、是より毎年十二月十五日を似て之を進む。次いで奥医師に陞り、仍ほ学生教育の事に当るを以て更番当直等の事を先ず。是より先覚政六年近隣火を失し家室堂宇灰燼に委す。官作事奉行をして監造せしめ、其費皆公に出づ。時人之を栄とす。貞庵人となり温潤にして度量あり、博学多識、凡百の技芸通ぜざる所なし。最も程先の学を好みて、業を中村習斎に受け、易、太極の奥を究む。又漢唐の文辞を岡田新川に学び、礒谷滄洲、河村乾堂、奥田鶯谷と相親し。弱冠にして命を奉じて、村上見善、山崎専三等と共に古方書を研究して尾藩禁方集成七十五巻を撰し之を納る。乃ち白銀の賞あり、大素経、新修本草は宋後亡逸して世に出でざること久し。偶々貞庵の友東道策といふ者あり。京に住して医を業とす。仁和寺宝庫の秘書に大素残本二十二巻、新修本草五巻あるを聞き、密かに請ふ所ありて稍く覧ることを許さる。之を観るに仁平仁安の間丹波憲基、頼基等の伝寫せる所にして殆んど七百年前の古寫なり。道策之を貞庵に報ず。貞庵依りて門人冢原修節、及び僧英山をして京に赴かしむ。然るに繕寫容易ならず、乃ち切に講ひて携へ帰り、一月を出でずして騰寫して之を還す。是に於て医家の至宝とする所のもの始めて世に出づ。智境院貞庵日静居士と法諡す。其門に学ぶ者三千余人に上り、他邦より来りて葬に会する者三十余国に及ぶ。著す所、「医学録」「物産志」「医門小学」「三読私抄」「課試問答」「周礼医師講義」「身體名」「稟賦名」「蔵府名」「孔穴名」「充華名」「気名」「神志名」「精液名」「経絡名」「天地名」「色葉本草」「校刻医家千字文」「大極図説講義」「中庸講義」「易経講義」「脉鑑」「医経発端辨」「薬性和解」「方彙発端辨」「古之人」「本朝名医伝略」「医書筆記」「貞庵隨筆」等三十四部、二百三十巻、別に本朝千家方三千巻、同続添五百巻あり。(名古屋市史より)。
 墓碑銘は「浅井平之丞之墓」。

浅井貞庵墓所

浅井貞庵の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
浅井図南 祖父 江戸時代中期の尾張藩士、医者、本草家、浅井家二代、平安四竹の一人 名古屋市千種区
浅井茅渟 江戸時代中期の医者 名古屋市千種区
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宇津木昆台 弟子 江戸時代後期の医家、妙法院門跡の侍医、五足斎 京都市左京区
大河内存真 弟子 江戸時代後期〜明治初期の医学者、本草学者 名古屋市千種区
岡田新川 江戸時代中期の儒学者、尾張藩校明倫堂督学 名古屋市千種区
奥田鶯谷 交友 江戸時代中期〜後期の儒者、名古屋藩校明倫堂教授 名古屋市千種区
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山崎玄庵 江戸時代後期の医者、高野長英の逃亡を助け罰せられる 名古屋市千種区
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山崎真人 尾藩禁方集成 江戸時代中期の医者 名古屋市千種区
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ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
医学館址 愛知県名古屋市
 中区錦2-19
 尾張藩医師の総元締であった浅井家が、医者養成のために18世紀後半、自邸内に設けた私塾。
 藩も医学館の運営に力をいれ、医師の資格試験を年二回行っていた。
 毎年六月十日にここで薬品会が開催され、東洋、西洋の珍しい動植物や鉱物が展示され、一般にも公開されていた。