人物総覧 よ 尾張藩 洋学者 医者

名前 吉雄常三
よみ よしおじょうぞう
生年 天明七(一七八七)
没年 天保十四年九月二日(一八四三)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 尾張藩医・蘭学者
略歴

 諱は尚貞、字は伯元、号は南皐、通称は俊蔵・常庵・常三。江戸後期の蘭学者。蘭通詞吉雄幸左衛門の次男定之助の子。叔父吉雄権之助に学び、志筑忠雄(中野柳圃)の理解したオランダ語文法の知識を継承した。文化十一年大坂で、オランダ語の格変化を述べた『六格前篇』を著わし、同十二年には江戸へ出て、宇田川榕菴に得意の文法を教授している。その前、備前にも滞留したといい、文化八年以前に長崎を出立したともいう。大坂・江戸では羽栗費または発(撥)と称した。同十三年に名古屋で吉雄常三と名乗り私塾観象堂を開き、蘭学を講じ、蘭方医療も施した。文政九年「蘭学心得翻訳」をもって尾張藩から二人扶持を受く。天保七年寄合医師、同十年奥医師に進む。天保十四年九月二日雷汞粉製法の研究中、爆発を生じ、死去。著『西説観象経』『遠西観象図説』『和蘭薬剤譜』などがある。大機院俊嶽道逸居士。
 墓碑銘は「吉雄南皐常三墓」。碑文あり。
 

吉雄常三墓所

ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
浅井貞庵 交友 尾張藩医浅井家四代 名古屋市千種区
石黒済庵 交友 江戸時代後期の医師、本草家 名古屋市千種区
見あたらず
伊藤圭介 門人 江戸時代後期〜明治時代の植物学者,蘭方医。
日本最初の理学博士
東京都台東区
上田帯刀 門人 江戸時代後期の蘭学者 名古屋市千種区
宇田川榕庵 門人 江戸時代後期の医師、蘭学者
日本最初の体系的化学書
岡山県津山市
小川守中 交友 江戸時代後期の雅楽研究家、尾張藩の医師 名古屋市千種区
水谷豊文 江戸時代後期の尾張藩士、本草家 名古屋市千種区
吉雄耕牛 祖父 江戸時代中期〜後期のオランダ通詞、蘭方医
「解体新書」に序文
長崎県長崎市
吉雄権之助 叔父 江戸時代後期のオランダ通詞
最初の英和辞書編集
長崎県長崎市