名前 |
大河内存真 |
よみ |
おおこうちぞんしん |
生年 |
寛政八年八月一二日(一七九六) |
没年 |
明治十六年五月二十三日(一八八三) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
医家・本草学者 |
|
略歴 |
医学者。本草学。名古屋の町医西山玄道の長男として生まれた。実弟に植物学者伊藤圭介がいる。幼名代吉または右仲(弟圭介は左仲)、名を重敦、のち重徳といい、字は子厚、恒庵・還諸子・八松・東郭などと号した。存真は通称である。医術を尾張藩医の浅井貞庵について学び、浅井医学館の塾頭となった。文政元年(一八一八)大河内家の養子となり家督を相続、小普請御医師高七〇俵を給せられた。嘉永元年(一八四八)奥医師となり同五年藩営の種痘所が設営されるや弟の圭介と共にその主任となった。医学のかたわら本草を水谷豊文に師事し嘗百社を結成、毎月例会を開き薬品会も開催した。文政九年長崎から江戸参府に向かうシーボルトに熱田宮で豊文、圭介らと共に会い帰国後の彼に植物標本や日本産『昆虫図譜』の著述を送った。石井宗謙のオランダ語訳が付せられた。明治一六年五月二三日死去。行年八八歳。
「大河内存真墓」。
|
大河内存真の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
浅井貞庵 |
師 |
江戸時代後期の尾張藩士、医者、浅井家四代 |
名古屋市千種区
見あたらず(修復中?) |
|
石井隆[蒼] |
交友 |
江戸時代後期〜明治初期の医学者 |
名古屋市千種区 |
|
石黒済庵 |
交友 |
江戸時代後期の医師、本草家 |
名古屋市千種区 見あたらず |
|
伊藤圭介 |
弟 |
江戸時代後期〜明治時代の植物学者,蘭方医
日本最初の理学博士 |
東京都台東区 |
|
柴田方庵 |
交友 |
江戸時代後期の蘭方医 |
長崎県長崎市 |
|
服部培園 |
交友 |
明治時代の漢方医 |
名古屋市千種区 |
|
水谷豊文 |
師 |
江戸時代後期の尾張藩士、本草家 |
名古屋市千種区 |
|
|
ゆかりの地リンク
|