名前 |
山崎玄庵 |
よみ |
やまざきげんあん |
生年 |
文政一〇年(一八二七) |
没年 |
嘉永四年八月二十四日(一八五一) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
医者 |
|
略歴 |
文政一〇年尾張国の医師取締浅井貞庵の子として生まれた。のち、同国の医家山崎中亭の養子となった。号随庵。実兄浅井紫山につき家学を修めたのち蘭方医学をも志し、天保一〇年(一八三九)蘭学修業のため江戸に出たが、学費不足のため帰郷した。一五歳で尾張藩の医術試験に合格したが、嘉永元年二二歳で家督を杉注連之助に譲り蘭学研究に専念した。逃亡中の高野長英を隠匿、のち彼と伊予宇和島に同行した。長英隠匿の罪により京都で捕らえられ、藩に押送され閉居を命ぜられた。兄紫山及び嗣子注連之助らはそれぞれ監督不行届きのため罰せられた。尾張の医師小沢長次郎(錦水)は弟子に当たる。嘉永四年八月二四日死去。行年二五歳。法名随安院何村法道居士。
墓碑銘は「山碕随安之墓」。
|
山崎玄庵墓所 |
山崎玄庵の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
浅井貞庵 |
父 |
江戸時代後期の尾張藩士、医者、浅井家四代 |
名古屋市千種区 |
|
浅井紫山 |
兄 |
江戸時代後期の尾張藩士、本草家、医者、浅井家五代 |
名古屋市千種区 |
|
小沢錦水 |
弟子 |
江戸時代後期の医者 |
愛知県一宮市(2ヶ所) |
|
高野長英 |
交友 |
江戸時代後期の蘭学者、医師、蛮社の獄で投獄、脱獄後自殺 |
岩手県水沢市
茨城県土浦市 |
|
山崎菜茹 |
養父 |
江戸時代中期〜後期の医者 |
名古屋市千種区 |
|
山崎真人 |
養祖父 |
江戸時代中期の医者 |
名古屋市千種区 |
|
|