名前 |
林龍沢 |
よみ |
はやしりゅうたく |
生年 |
寛延二年(一七五〇) |
没年 |
文化七年八月十七日(一八一〇) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
医家 |
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略歴 |
名は弘亮、字を良元、大垣の人で寛延二年の生まれ、一五歳のとさ名古屋に来て大河内存真につき、また浅井医学館に学ぶ。年二八で伝馬町に開業する。寛政六年寄合医師にえらばれ、ついで奥医帥となる。碑銘に「家を起して以来、誇る所の病人、歳に万数を以て計える。貴賤遠近、多く救活する所在り。雅にして茶事を好む、頗る前輩の風有り、器物を展設し、薄俗を競ふことを欲せず」とあり、家富んで優雅な生活を楽しむ。文化七年八月十七日(一八一〇)。六十一歳。
墓碑銘は「応見院赤山日昇居士」。碑文あり。碑文の撰文は浅井貞庵。
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林龍沢の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
浅井貞庵 |
撰文 |
尾張藩医浅井家四代 |
名古屋市千種区 |
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大河内存真 |
師 |
江戸時代中期の医家・本草学者、尾張藩奥医師 |
名古屋市千種区 |
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