人物総覧 な 尾張藩 儒学者

名前 中村習斎
よみ なかむらしゅうさい
生年 享保四年?(一七一九?)
没年 寛政十一年四月二日(一七九九)
場所 愛知県名古屋市瑞穂区
分類 尾張藩儒学者
略歴

 尾張藩馬廻組中村政順の二男として生まれた。名を蕃政、通称は猪八。兄の政峰も厚斎の号で知られる儒学者。小出斎、蟹養斎に学ぶ。享保21年、18歳で七代藩主徳川宗春に御目見え。安永6年59歳になってやっとその功績が認められ、国用人支配下の儒者として五人扶持を給された。九代藩主宗睦より度々褒賞を受けた。200を超える編著があり恩師蟹養斎の巾下学問所に関する記録『寛延記草』はよく知られている。
 墓碑銘は「道己居士」

中村家墓所

 
中村習斎の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
浅井貞庵 弟子 江戸時代後期の尾張藩士、医者、浅井家四代 名古屋市千種区
稲葉通邦 弟子 江戸時代中期〜後期の尾張藩士、有職家 名古屋市昭和区 現存せず
蟹養斎 江戸時代中期の尾張藩儒学者。私塾勧善堂 三重県伊勢市
小出 江戸時代前期〜中期の儒学者 名古屋市千種区
近藤浩斎 弟子 江戸時代中期〜後期の尾張藩士 名古屋市千種区 見当たらず
遠山寛斎 親友 江戸時代中期の儒家 名古屋市千種区
徳川宗睦 主君 江戸時代中期の大名(尾張藩)、9代藩主。藩校明倫堂を創設 愛知県小牧市
徳川宗勝 主君 江戸時代中期の大名(尾張藩)、8代 名古屋市東区 残骸のみ
遺骨は瀬戸市
徳川宗春 主君 江戸時代中期の大名(尾張藩)、7代藩主。『温知政要』 名古屋市千種区
中村厚斎 江戸時代中期の儒学者 名古屋市瑞穂区
深田香実 弟子 江戸時代後期の儒者、深田九皐の長男 名古屋市天白区
間島恭斎 弟子 江戸時代中期〜後期の尾張藩士 名古屋市千種区
宮沢欽斎 弟子 江戸時代中期の儒家、時習館学頭 名古屋市天白区 見当たらず
山中寛紀 弟子 江戸時代中期〜後期の尾張藩士 名古屋市天白区


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
巾下学問所址 愛知県名古屋市西区
 那古野1丁目
  
 寛延元年(1748)、闇斎学派の蟹養斎が許可を得て巾下御門外御作事屋敷内に創設された私塾。徳川宗勝により「明倫堂」の扁額を与えられるほど藩も力を入れていたが、宝暦元年(1751)立ち退きを命ぜられ養斎は離名され明倫堂と改称された。