名前 |
中村厚斎 |
よみ |
なかむらこうさい |
生年 |
享保四年?(一七一九?) |
没年 |
安永八年四月二日(一七七九) |
場所 |
愛知県名古屋市瑞穂区 |
分類 |
尾張藩儒学者 |
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略歴 |
名は政峰、通称は覚蔵、厚斎は号。父は尾張藩馬廻組中村政順で厚斎はその長男。習斎は弟にあたる。小出斎、蟹養斎に従学した。家道一に朱子の家礼に従い、子孫は堅くその法を守った。68で没した。諡は厚斎覚了居士。
墓碑銘は「厚斎覚了居士」
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中村家墓所 |
中村厚斎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
蟹養斎 |
師 |
江戸時代中期の尾張藩儒学者。私塾勧善堂 |
三重県伊勢市 |
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小出斎 |
師 |
江戸時代前期〜中期の儒学者 |
名古屋市千種区 |
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中村習斎 |
弟 |
江戸時代中期の儒学者、蟹養斎高弟 |
名古屋市瑞穂区 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
巾下学問所址 |
愛知県名古屋市西区
那古野1丁目
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寛延元年(1748)、闇斎学派の蟹養斎が許可を得て巾下御門外御作事屋敷内に創設された私塾。徳川宗勝により「明倫堂」の扁額を与えられるほど藩も力を入れていたが、宝暦元年(1751)立ち退きを命ぜられ養斎は離名され明倫堂と改称された。 |
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