人物総覧 う
 尾張藩 国学者 安政の大獄 尾張誌

名前 植松茂岳
よみ うえまつしげおか
生年 寛政六年十二月十日(一七九四)
没年 明治九年三月二十日(一八七六)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 国学者・尾張藩士
略歴

 幼名は啓作、繁樹、長じて庄左衛門。号に松陰、不知がある。尾張藩士小林和六常倫の次男。十歳の時父が没し、兄の仲弘が板木師の植松有信に和歌を学んでいた関係で、その内弟子となり国学と板木彫刻を学んだ。十五歳のとき有信の養子となり、有信が文化13年に没すると、翌年養継子となる。有信没後は和歌山の本居大平の許で学び、文化13年名古屋に戻り、植松家を相続。江戸・美濃・伊勢など諸国を廻り国学を広め数多くの門人を得る。天保6年(1835)鈴木朖・大原寅次郎らの尽力により藩士に取り立てられた。翌年尾張藩校明倫堂に出仕し国学を教授。天保8年明倫堂典籍見習次座に昇格。天保11年より『続日本紀』の校合、『尾張志』編纂に参加。弘化2年(1845)には『類聚三代格』の刊行に着手し、明倫堂典籍次座に昇格。嘉永2年に慶勝が藩主となると、その侍講を勤めるまで昇り詰めるが、安政5年(1858)に藩主慶勝と共に安政の大獄に連座、失脚し、文久2年(1862)まで減奉・幽閉された。慶応3年(1867)明倫堂国学教授となる。明治3年に隠居し、熱田で死去した。子息の有園・有経が家学を継承した。豊真菅彦道起根大人。
 墓碑銘は「大講義植松茂岳之墓」

植松茂岳墓所(名古屋市)

植松茂岳の墓(名古屋市)

植松茂岳の墓(台東区)
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
茜部相嘉 交友 江戸時代後期の尾張藩士、金鉄党 名古屋市中村区 見あたらず
浅野武経 弟子 幕末の尾張藩士、明治期の歌人、冬青吟社主宰 情報求む
朝見安臣 門下 幕末〜明治期の神職(尾張旭市渋川神社) 情報求む
石橋蘿窓 弟子 幕末〜明治時代の国学者 名古屋市千種区
稲垣秋甫 弟子 明治初期の女子教育者。 名古屋市千種区 見あたらず
植松有園 長男 幕末の〜明治期の歌人、文学御用掛 名古屋市瑞穂区
東京都台東区
植松有経 五男 幕末の尾張藩士、明治期の歌人、宮内省御歌所参候兼録事 東京都台東区
植松有信 養父 江戸時代中期の国学者 名古屋市千種区
内田成之 弟子 江戸時代後期〜明治時代の商人、国学者 名古屋市千種区
大島為足 弟子 幕末の尾張藩士、歌人 名古屋市千種区
岡田高穎 弟子 幕末の尾張藩士、国学者、明治期の俳人 名古屋市昭和区 見あたらず
奥田常雄 弟子 江戸時代後期の尾張藩士、好学者 名古屋市千種区 見あたらず
加藤行虎 交友 江戸時代後期の医師、国学者 名古屋市千種区 見あたらず
加藤安彦 弟子 幕末の犬山藩士、歌人 情報求む
神谷永平 弟子 幕末〜明治期の豪商 名古屋市千種区(写真は先祖)
国枝松宇 交友 江戸時代後期〜明治初期の儒学者、蝋燭商人。赤穂義士に傾倒 名古屋市千種区
西郷暉隆 弟子 幕末の尾張藩士 名古屋市千種区 見あたらず
佐藤如春 弟子 幕末の尾張藩士、明治期の歌人 名古屋市天白区 見あたらず
佐藤彌平次 弟子 幕末の尾張藩士 名古屋市千種区
鈴木朖 交友 江戸時代中期の国学者 名古屋市千種区
鈴木常明 交友 幕末の尾張藩医、蘭学者 名古屋市千種区
鈴木久亮 弟子 幕末〜明治期の豪商 名古屋市千種区
首藤允中 弟子 江戸時代後期の尾張藩士、好学者 名古屋市千種区
関戸内兄 弟子 幕末〜明治時代の商人、歌人 名古屋市千種区
関戸信秋 弟子 江戸時代後期の歌人 名古屋市千種区
竹田晨正 弟子 明治期の歌人 愛知県海部郡美和町
田中尚房 弟子 幕末の尾張藩医、明治期の有職}家、京都北野神社宮司 京都市北区
千葉葛野 弟子 江戸時代後期の歌人、国学者 長野県飯田市
恒川文貞 門下 江戸時代後期〜明治期初期の医者 情報求む
徳川準子 弟子 幕末〜明治期の歌人、尾張藩主徳川慶勝の妻 東京都新宿区
愛知県瀬戸市
徳川慶勝 主君 江戸時代後期の大名(尾張藩)、14代藩主、17代当主 愛知県瀬戸市 遺骨
東京都新宿区 空墓
二宮巌橿 弟子 幕末の勤王家、維新後神官 東京都港区
丹羽義干 門下 幕末〜明治期の庄屋(清洲)、地方自治功労 愛知県西春日井郡新川町
野村秋足 弟子 江戸時代後期〜明治時代の国学者 名古屋市千種区 見あたらず
野村稲守 弟子 幕末の尾張藩士、維新後の官吏、歌人 名古屋市千種区 見あたらず
野村玉渓 交友 江戸時代後期の日本画家 名古屋市瑞穂区
野呂瀬曉月 弟子 江戸時代後期の歌人、野呂瀬秋風の妻 名古屋市千種区 見あたらず
野呂瀬秋風 弟子 江戸時代後期の尾張藩士 名古屋市千種区 見あたらず
原田延行 弟子 明治期の商人、歌人 名古屋市天白区 見あたらず
平田篤胤 対立 江戸時代中期〜後期の国学者、尊皇思想を唱え、幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与える。「霊能真柱」など 秋田県秋田市
平出順良 弟子 江戸時代後期〜明治期の医師 名古屋市千種区
福住清風 弟子 江戸時代後期の歌人 長野県飯田市
藤井行権 弟子 江戸時代後期〜明治中期の僧侶。国学者 名古屋市千種区
本多俊民 弟子 幕末の尾張藩士、歌人、維新後神官 愛知県刈谷市
間島冬道 弟子 幕末の尾張藩士、維新後政治家、宮内省御歌所寄人、明治六歌仙の一人 東京都台東区
三浦千春 弟子 幕末の尾張藩士、国学者、維新後地方自治 東京都豊島区
三浦義住 門下 幕末〜明治期の地方自治功労(田代村:千種区) 名古屋市千種区
水谷民彦 弟子 幕末〜明治時代の商人。尾張の尊攘運動を支援 名古屋市千種区
水野復斎 交友 幕末〜明治期の鋳物家、国学者 名古屋市天白区
三輪経年 弟子 明治時代の歌人 名古屋市千種区
村沢徳風 弟子 江戸時代後期の飯田藩用心、歌人 長野県飯田市
本居大平 江戸時代中期〜後期の国学者 和歌山県和歌山市
矢部典則 弟子 幕末の尾張藩士、明治時代の国学者 名古屋市千種区
山田千疇 弟子 江戸時代後期の尾張藩士、維新後神官 名古屋市千種区 見あたらず
山本正晴 弟子 明治時代の国学者、教育者 名古屋市千種区
横井時逸 門下 明治期の国学者、歌人 愛知県中島郡祖父江町
吉原酔雨 弟子 江戸時代後期〜明治期の俳人 名古屋市昭和区 見あたらず


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
明倫堂跡 愛知県名古屋市
 中区丸ノ内2-3
   那古野神社
 九代藩主宗睦が藩士の子弟の教育のため天明三年(一七八三)に設立した学問所。初代総裁は細井平洲。明治四年(一八七一)七月二十八日廃藩置県の結果廃校となった。

熱田文庫跡 愛知県名古屋市
 熱田区白鳥2丁目
   白鳥小学校校門の北側あたり
 安政2年(1855)中瀬町に植松茂岳らの尽力により開設された文庫。熱田神宮に奉納された書籍を多く蔵書していたが、明治12〜13年頃廃絶。