名前 |
石橋蘿窓 |
よみ |
いしばしらそう |
生年 |
文化十一(一八一四) |
没年 |
明治三十三年四月七日(一九〇〇) |
場所 |
名古屋市千種区 |
分類 |
国学者 |
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略歴 |
幼名は伊三郎、通称は栄蔵、名は年和・知空・友数・寿、号は慈舟・松園・蝠翼・如酔軒。幕末明治の国学者。江戸の豪商石橋弥兵衛の次子として江戸に生まれる。のち居を名古屋に移すが、江戸在住時には、国学を前田夏蔭に学び、歌道を小山田与清・橘守部・本間游清・井上文雄などに従学し学問の基礎を培う。名古屋では植松茂岳に従い、さらに国学を研究するも、出家の念止み難く、のち行脚して高野山に登り修行、法印に叙せられる。二十一歳の時尾張国末森入舟山に遁世し、終生そこで修行に励んだ。明治三十三年没。享年八十七歳。良照院慈雲知空居士。
墓碑銘は「蘿城乃奥城」。
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石橋蘿窓墓所 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
井上文雄 |
師 |
江戸時代後期の国学者、医者 |
東京都台東区 |
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植松茂岳 |
師 |
江戸時代後期の尾張藩士、国学者、明倫堂国学教授 |
名古屋市瑞穂区
東京都台東区 |
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刑部陶痴 |
弟子 |
幕末の尾張藩士、陶芸家、田安家臣 |
名古屋市天白区 見あたらず |
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小山田与清 |
師 |
江戸時代後期の国学者 |
東京都豊島区 見あたらず |
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橘守部 |
師 |
江戸時代後期の国学者、天保の四大家 |
東京都墨田区 |
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本間游清 |
師 |
江戸時代後期の国学者、医師、吉田藩士、和学三大家 |
東京都港区 |
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前田夏蔭 |
師 |
江戸時代後期の国学者、幕臣、『蝦夷志料』 |
東京都練馬区 |
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三浦義住 |
弟子 |
幕末〜明治期の地方自治功労(田代村:千種区) |
名古屋市千種区 |
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