名前 |
矢部典則 |
よみ |
やべつねのり |
生年 |
天保九年(一八三八) |
没年 |
明治四十年三月廿二日(一九〇七) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士・国学者 |
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略歴 |
旧称は幾太郎、尾張の世臣にして、禄二百石を食む、父を彦右衛門といひ、天保九年四月廿九日を以て、江戸市谷合羽坂の藩邸に生る、安政六年家を継ぎて馬廻組となり、次で小納戸となりて藩主茂徳に仕ふ。文久三年膳番を兼ね、後使番格に補せらる。典則、少壮細野要斎に従ひて漢学を受け、又植松茂岳に国典を学ぶ、最も数を好み、初め上田仲敏に従学せしが、後に茂岳及間島冬道の教を受け、頗る能手と称せらる。余技宝生流の謡曲を能くし、同人の間に推さる。維新の後、北地部宰に附属し、小隊司令となりて開墾地の事に従ひ、又神職に在りしが晩年東京に移り、大日本婦人会の歌文を添削し、時の名流と交遊せり。播磨高砂に於て其子直彦の家に没す、享年七十。
墓碑銘は「矢部典則之墓」。
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矢部典則墓所 |
矢部典則の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
上田帯刀 |
師 |
幕末の尾張藩士、国学者 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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植松茂岳 |
師 |
尾張藩国学者、明倫堂国学教授 |
名古屋市瑞穂区
東京都台東区 |
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大島為足 |
親交 |
幕末の尾張藩士、歌人 |
名古屋市千種区 |
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佐藤如春 |
親交 |
明治時代の歌人 |
名古屋市千種区 |
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徳川茂徳 |
主君 |
美濃高須藩松平(尾張)家11代、
尾張徳川家 15代藩主、一橋家10代 |
愛知県瀬戸市
東京都台東区 |
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氷室長峰 |
親交 |
幕末の国学者 |
愛知県津島市 |
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細野要斎 |
師 |
幕末の儒学者、尾張藩校明倫堂督学 |
名古屋市千種区 |
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間島冬道 |
師 |
幕末の尾張藩士、維新後政治家
宮内省御歌所寄人、明治六歌仙の一人 |
東京都台東区 |
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三輪経年 |
親交 |
明治時代の歌人 |
名古屋市千種区 |
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山本正晴 |
親交 |
明治時代の国学者、教育者 |
名古屋市千種区 |
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