名前 |
山本正晴 |
よみ |
やまもとまさはる |
生年 |
天保九年四月九日(一八三八) |
没年 |
明治三十五年四月七日(一九〇二) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
国学者、教育者 |
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略歴 |
通称は新次郎、天保九年四月九日、名古屋伝馬町に生る。家世々酒商にして京口屋と称す。少うして植松茂岳の教を受け、後歌を渡忠秋に学ぶ。而して最も間島冬道と相善し、又香道を蜂谷宗意に学びて皆伝を受け、余技将棋を善くして、高段に入り、能手の称ありしも後思ふ所ありて、之を廃す。人となり識見高く、議論人の意表に出づ是む払て牙籌を執りて錙銖の利を争ふを欲せず、早く業を子九八郎に譲りて、力を公職に盡し、特に教育の為に盡す所多し。人呼びて教育狂と為すに至る。明治三十二年愛知県其多年の功労を表彰して木盃一組を賞賜す。三十五年四月七日没す、享年六十五、直斎正晴居士と法諡ず。
墓碑銘は「直斎正晴居士」。
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山本正晴墓所 |
山本正晴の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
植松茂岳 |
師 |
尾張藩国学者、明倫堂国学教授 |
名古屋市瑞穂区
東京都台東区 |
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大島為足 |
交友 |
幕末の尾張藩士、歌人 |
名古屋市千種区 |
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佐藤如春 |
交友 |
明治時代の歌人 |
名古屋市千種区 |
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蜂谷宗意 |
師 |
江戸時代後期〜明治時代の香道家 |
名古屋市千種区 |
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氷室長峰 |
交友 |
幕末の国学者 |
愛知県津島市 |
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間島冬道 |
師 |
幕末の尾張藩士、維新後政治家、宮内省御歌所寄人
明治六歌仙の一人 |
東京都台東区 |
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三輪経年 |
交友 |
明治時代の歌人 |
名古屋市千種区 |
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矢部典則 |
交友 |
幕末の尾張藩士、明治期の国学者 |
名古屋市千種区 |
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渡忠秋 |
師 |
江戸時代後期〜明治時代の歌人 |
京都市左京区 |
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