掃苔帳 み 尾張藩 神職

名前 水谷民彦
よみ みずたにたみひこ
生年 文政元年三月一六日(一八一八)
没年 明治二十四年九月二二日(一八九一)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 商人・勤皇家
略歴

 諱は孝明・磐根、字は世篤、幼名貞五郎、与右衛門・民彦。素桃・弓の舎。名古屋笹屋町 日比野茂左衛門の第二子。水谷与右衛門の養子。酒造家に生れたが、長者町人足山問屋水谷氏の養子として家業を継ぎ、衰えた家運を挽回した。天保六年道中改御用を命ぜられ、十四年江戸定日飛脚所を許可される。国学を学び画・茶・刀剣を愛し、尊攘の志を抱いて、志士の来往するものを保護した。また運雑御用としてしばしば尾張藩主に随行し、諸藩の情報を入手して藩に提供した。慶応二年命を受けて養蚕創業のことに当り、同年退役後は、愛知郡末森村に閑居し主に諸社の神職を勤め、明治十年以後専ら著述に従事した。年七四で没。著書に「三傑年譜」「山記」「尾張国陶墟考」がある。
 墓碑銘は「水谷民彦翁之墓」。墓は再建墓。墓前に墓所碑あり。

水谷民彦墓所

 
水谷民彦の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
植松茂岳 江戸時代後期の尾張藩士、国学者、明倫堂国学教授 名古屋市瑞穂区
東京都台東区
大島君川 顕彰碑
篆額/書
明治時代〜昭和初期の書家 名古屋市千種区
国枝松宇 門下 江戸時代後期〜明治初期の儒学者、蝋燭商人。赤穂義士に傾倒 名古屋市千種区
松井茂 顕彰碑
撰文
明治期〜昭和期の内務官僚、日比谷焼打事件の鎮圧を指揮、韓国内部警務局長、静岡・愛知県知事 東京都府中市
水谷不倒 子息 明治〜昭和初期の国文学者、近世文学研究。 情報求む  


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
日泰寺舎利殿
 水谷民彦顕彰碑
愛知県名古屋市
 千種区法王町1-1
   
 大正四年八月に建てられています。
 撰文は愛知県知事松井茂、篆額及び書は大島徳太郎です。
水谷民彦邸跡 愛知県名古屋市
 名古屋市中区
  丸の内2杉ノ町と
   桜通りの中程東側
 明治元年から没するまで住んだ場所。