人物総覧 お
 書家

名前 大島君川
よみ おおしまくんざん
生年 不明
没年 昭和十八年二月十七日(一九四三)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 書家
略歴

 名徳太郎、君川と号し、壮年より愛知県庁に出仕し、専ら翰墨の事に当った。早くより恒川宕谷に師事し、退官後は書を以て立ち、多くの門人を養成して書壇の重鎮となつた。
 墓碑銘は「観徳院君川慈薫日蓼」。

大島君川の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
石田泉城 弟子 明治期〜昭和初期の書家、愛知学芸大学(現在の愛知教育大)教授 情報求む
大島随法 祖父 江戸時代後期の書家 名古屋市千種区
沖六鵬 門人 明治期〜昭和初期の書家、日本書道連盟副理事長 静岡県静岡市
鈴木君碩 門人 明治期〜昭和初期の書家 情報求む
恒川宕谷 江戸時代後期〜明治時代の書家 名古屋市千種区
長谷川流石 門人 明治期〜昭和初期の書家、東方書道会 愛知県一宮市

    
ゆかりの碑リンク
ゆかりの碑 住所 説明  写真
山内一豊誕生地碑 愛知県岩倉市
 下本町下市場21
  神明生田神社
 神明生田神社境内に山内一豊誕生地碑が立っていますが、碑文の書は大島徳太郎(君川)です。碑は昭和9年に建てられています。
 篆額は山内豊景、撰文は渡辺錠太郎です。
八木雕顕彰碑 愛知県犬山市
 北古券65-1
  犬山城
 幕末の動乱期に国事にかかわり、官軍の参謀などを務めるなど活躍し、維新後は明治政府に仕えた八木雕の頌徳碑。

大正七年九月に建てられた。撰文は志水直、書は尾張地方ではおなじみの大島徳太郎(君川)。
小田井城跡碑 愛知県
 西春日井郡
  西枇杷島町
   小田井町
 十五世紀後半に尾張守護代織田大和守敏定によって築かれたといわれる。敏定の子孫が代々居城したが、忠辰の代に羽柴秀吉によって城を追われ廃城となった。

 城跡に建つ「小田井城址」は大島徳太郎(君川)の書です。
神野金之助翁頌徳碑 愛知県豊橋市
 神野新田町ソノ割
  神富神社
 神野新田(豊橋市神野新田町)を完成させた神野金之助翁を顕彰するため、昭和5年4月に神野新田借地人一同の寄付によって建てられた頌徳碑です。

 正面の「神野金之助翁頌徳碑」は渋沢栄一の書、裏の碑文は大島徳太郎(君川)の書です。
親子地蔵尊縁起 愛知県名古屋市千種区
 法王町1-1
  日泰寺
 大正15年3月、幼い四人の子供とともに心中した父子、後追い自殺をした母を慰霊するために、大正15年5月新聞社により地蔵尊が建立されています。

 地蔵尊の横にある記念碑があり、文は名古屋新聞(中日新聞の前身)社主与良松三郎、書は大島徳太郎(君川)です。
水谷民彦顕彰碑 愛知県名古屋市千種区
 法王町1-1
  日泰寺舎利殿
 大正四年八月に建てられています。
 撰文は愛知県知事松井茂、篆額及び書は大島徳太郎(君川)です。です。
御統監之所 愛知県名古屋市天白区
 御幸山
  御幸山公園
 大正2年陸軍特別大演習が行われたとき、大正天皇がこの地で御統監されたことを記念して大正4年に建てられています。

 「御統監之所」の文字は第三師団長仙波太郎です。碑の裏に由来がかかれており、撰文は愛知県知事松井茂、書は大島徳太郎(君川)です。
中村公園
 橘中佐慰霊碑
愛知県名古屋市中村区
 中村町
 日露戦争で戦死した軍神「橘周太」陸軍中佐を顕彰するため、橘周太が名古屋陸軍幼年学校の教官時代に教えを受けた第六期生の有志により明治39年3月建立されました。
 揮毫は大島義昌、書は大島徳太郎(君川)です。
石黒鎮周翁
    顕彰碑
愛知県宝飯郡御津町
 御馬字東
石黒鎮周(石黒須賀雄)は幕末から明治初期にかけて、宝飯郡上佐脇村(愛知県御津町)で寺子屋や学校の教師として多くの子弟を育成し、御津神社や形原神社の宮司を務めた人物です。

 碑の篆額は桂太郎、書:池田又八郎で、撰文は大島君川になります。
烈士鳥居勝商之碑 愛知県豊川市
 市田町東堤上
  赤塚山公園
天正3年の長篠城の籠城線で有名な鳥居強右衛門の顕彰碑です。

市田町に生まれた鳥居強右衛門勝商を顕彰するために大正3年に建てられています。

題字は籠城時の長篠城城主奥平信昌の末裔にあたる奥平昌恭伯爵、撰文は横井忠直(おそらく古城のこと)、書が大島君川です。
伊良湖村移転碑 愛知県渥美郡渥美町
 保美
  伊良湖神社入口
明治38年に、伊良湖岬一帯が陸軍用地に指定されたため、当時の村民が村ごと移転したことを記念する碑です。

篆額は当時の愛知県知事「深野一三」、撰文は当時の渥美郡長「市川信順」、書は大島徳太郎(君川)です。

すぐ隣に黒田清綱の歌碑があります。