名前 |
国枝松宇 |
よみ |
くにえだしょうう |
生年 |
寛政八年四月七日(一七九六) |
没年 |
明治十三年十月十五日(一八八〇) |
場所 |
名古屋市千種区 |
分類 |
儒学者・蝋燭商人 |
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略歴 |
名は惟煕、字は成卿、松宇、老足、東邨、兀山等の号あり。俗称は大野屋嘉六、晩年松宇を通称とす。府下赤塚町の商売にして父を嘉兵衛といふ。曩祖国枝大和守藤原為助、美濃池田郡池田荘を領せり。其弟刑部左衛門多芸郡上笠対に住し、十八世の孫彦左衛門の二子嘉兵衛なる者、元禄十五年始めて名古屋に来りて赤塚町に住し、米穀問屋を営み、後藩の手形師となりて藩士に金を貸すを以て業とせしが、松宇の父嘉兵衛に至り、家産衰へて遂に之を止む。松宇寛政八年四月七日を以て生れ、文化中家を継ざて蝋燭商を営む。少うして学を好み奥田鶯谷に従遊し、奥田亮斎、伊藤兩村、熊田休庵、釈指月等と友とし善し、人となり慷慨義を好み、才辯あり、其父母に事ふる夙に孝を以て聞ゆ。文化五年官其母に孝なるを賞し銭三貫文を賜ふ。平生人と語るに談忠孝節義の事に造べば、未だ曾て声涙倶に下らざるはあらず、聴く者之が為に感動す、最も赤穂四十七士を欽慕し、遺聞を蒐輯して義人録補正二巻を著す。数十年の久しきを経て始めて稿を脱す、盖し平生心血の注ぐ所此一昔に在りといふ、嘉永二年の冬小室を屋後に結び、以て退休の処となし号して老足蒼といふ。人呼ぶに老足先生を以てす。万延元年三月居を名古屋新田に移し農を業とし、傍ら藩中の士に学を授く、因りて東邨野老の号あり。是より先尊攘の論天下に喧し、松宇、高木雪居、田宮如雲、植松茂岳、水谷民彦、松本奎堂等に交り、門下を激属して勤王の事に従はしむ。中元治元年藩主其勤学篤行を聞き、用人支配となし俸二口を賜ひ、特に明倫堂学寮掛となす。明治元年十月、又其多年憂国の志深く門下教養の功多きを聞き城中に召して論語を講ぜしむ。是より度々君前に出でて書を講じ、班を目見に列し俸三口を加へ、又紋服酒肴を賜ふ。二年神官掛附属となり、次いで老を以て帰す、四年正月漢学一等助教となり禄米十五石を賜ふ。十月に至りて之を辞す。同月三日命あり、「年来勤王の志篤く後進を誘掖せる其志神妙なり、依りて其賞典として終身月俸三口を賜ふと」。五年三月赤穂義人録補正刻成る、十一年十月聖鴛巡幸の日乃ち一部を獻じ且つ詩を上る、曰く「仰欽天沢及衰残、犬馬幸伝遺体安、寿福恩栄堪感泣、賎齢叨黙聖聡端」、官金を賜ひて之を賞す。松宇曾て読論語の詩あり、曰く「一喫香梁適口時、美甘何物復加之、百般世味皆如此、妙在尋常不在奇」、一年江戸に在りて藤森弘庵を訪ふ、刺を通ずるに及びて厨房に笑声起る、弘庵出でて面して曰く、曩に食時に方りて君が論語の詩を示して門生に説く、恰も君の来訪あり、諸生奇遇を感じて覚えず大笑す、請ふ無礼を尤むること勿れと、松宇之を聞きて亦大笑す、又曾て参の荻原に遊び、蟹の蛙を救へる事を聞き、介蟲の属猶ほ義勇の気に富むに感じ、其事を紀し係るに詩を以てして曰く、「義勇何曾避害為、脱蛙窮厄抗蛇時、不信無傷公子号、其傷鉄石有如斯」、人の書を乞ふ者あれば、自ら蟹の画を作り、文を記して之を与ふ。其常に心を彝倫に存し、世を諷し俗を属ますの意以て窺ふべし。明治十三年十月十五日没す、享年八十。法諡して浄恩信士といふ。門下丹羽花南、田中夢山等の勤王の士を出だす。其詩文和歌は松宇遺稿一巻あり。(名古屋市史)
墓碑銘は「国枝松宇墓」。碑文あり。
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国枝松宇墓所 |
国枝松宇の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
伊藤両村 |
親交 |
江戸時代後期の儒者、庄屋 |
愛知県豊明市 |
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植松茂岳 |
同志 |
江戸時代後期の尾張藩士、国学者、明倫堂国学教授 |
名古屋市瑞穂区
東京都台東区 |
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奥田鶯谷 |
師 |
江戸時代中期〜後期の儒者、名古屋藩校明倫堂教授 |
名古屋市千種区 |
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奥田亮斎 |
親交 |
江戸時代後期の儒家、鴬谷の第二子 |
名古屋市千種区
見あたらず(合葬?) |
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熊田休庵 |
親交 |
江戸時代後期の儒学者 |
名古屋市千種区
見あたらず |
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指月 |
親交 |
僧侶 |
情報求む |
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高木雪居 |
親交 |
だれ?? |
情報求む |
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田中不二麿 |
門下 |
幕末の尾張藩士、維新後政治家、フランス公使、子爵。夢山 |
東京都あきる野市 |
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田宮如雲 |
同志 |
江戸時代後期の尾張藩士、尊攘派の中心人物。桂園。維新後名古屋藩大参事 |
名古屋市昭和区 |
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丹羽賢 |
門下 |
幕末の尾張藩士、三重県権令、従五位。花南 |
東京都台東区 |
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松本奎堂 |
同志 |
幕末の刈谷藩士、天誅組を組織 |
奈良県吉野郡東吉野村
愛知県刈谷市 |
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水谷民彦 |
同志 |
幕末〜明治時代の商人。尾張の尊攘運動を支援 |
名古屋市千種区 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
明倫堂跡 |
愛知県名古屋市
中区丸ノ内2-3
那古野神社
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九代藩主宗睦が藩士の子弟の教育のため天明三年(一七八三)に設立した学問所。初代総裁は細井平洲。明治四年(一八七一)七月二十八日廃藩置県の結果廃校となった。
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