人物総覧 た 尾張藩

名前 田宮如雲
よみ たみやじょうん
生年 文化五年十月二十三日(一八〇八)
没年 明治四年四月十九日(一八七一)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 尾張藩家老
略歴

 尾張藩側用人、家老。名は篤輝。はじめ彊立、また平篤。字は子志。通称弥太郎、晩年に如雲と改める。桂園、あるいは桂叢と号した。藩士大塚三右衛門正甫の第二子で、母は浅井氏。藩士田宮半兵衛翼の養子となる。半兵衛は町奉行在勤二十年余、名判官の誉れ高く、内外に令名を馳せた。文政十一年五月如雲二十一歳で、十一代藩主斉温の中奥小姓を勤める。天保三年閏十一月半兵衛没して家督を承け、翌四年二月目付。同十年三月斉温が嗣子なく薨ずると、支藩高須家世子秀之助(のちの慶勝)を擦立すべく運動。幕府の意向で田安斉荘が十二代に迎えられたため、秀之助をその儲にするよう請うがこれも失敗、中奥小姓に左遷された。この時の動向が幕末期藩内党争の発端であり、如雲は金鉄組と称する一方の旗頭となる。同年十一月辞職。同十四年九月先手物頭。弘化四年五月、十三代藩主慶臧の下で町奉行。嘉永二年四月、慶臧罷って慶勝が十四代藩主に就く。慶勝は如雲を重用し、藩政改革の推進にあたらせた。同三年正月勘定奉行。同四年二月再び町奉行。同年九月書院番頭格広敷用人兼小納戸頭取。同五年十月用人格。同六年七月側用人並。以来慶勝側近にあって庶政を補佐し、慶勝の攘夷論を支えて幕末政局に重きをなした。安政二年正月側用人本役、禄一千石。二月職制改革によって一旦職から離れるが、四月側大寄合(側用人)。同三年二月故あって免職。四月側大寄合に復帰。水戸斉昭が慶勝に如雲再起用を勧めたという。同五年七月慶勝は幕府から隠居・急度慎の処分を受け、十五代藩主に茂徳が襲封。藩政は転回し、如雲も斥けられて、慶勝用人、ついで馬廻頭に降格、九月免職謹慎命ぜられた。翌六年正月には隠居謹慎仰せ付けられ、長子兵治が家を継ぐ。さらに九月、家禄居宅没収・家名断絶・永蟄居の厳罰が下り、名古屋南郊御器所村に幽閉、雌伏することになった。文久二年慶勝が赦され、九月如雲も側用人に復職、藩政また一転する。同三年六月城代に進み、側用人の職務は継続した。八月城代を免じ、十一月藩学明倫堂総裁。翌元治元年四月城代格側用人。五月側用人を辞して、十六代の幼藩主義宜の輔導に専任。八月病により隠居、兵治が再び家を承継した。同年九月征長の役では、総督慶勝の側用人として幡帳に参し、戦端を開くことなく長州藩の伏罪で事態を収拾せしめた。この処理が幕府の嫌忌に触れ、慶応元年五月藩命によって屏居。八月宥免。同二年九月測用人復帰。同三年十月病をもって職を辞す。十一月慶勝にしたがい入洛し、大政奉還後の京都政界に登場。ときに六十歳。藩士丹羽賢、田中不二麿らと諸方面に周旋した。十二月年寄加判(家老)。朝廷からは徴士参与に任ぜられて、京都、伏見の市政を掌る。明治元年正月内国事務掛。同月藩内粛清の青松葉事件には帰藩せず、直接立ち会ってはいない。三月徴士参与職内国事務局判事、京都裁判所に付せられた。四月帰国して甲信鎮撫に兵を率いる。明治二年正月藩の執政。二月辞し、北地総管に就任、藩領美濃太田で施政にあたる。版籍奉還後、名古屋藩知事義宜の下で藩政改革に従事。九月朝廷より功を賞され世禄四百石賜る。同月名古屋藩大参事。三年五月病により辞職。十月名古屋藩庁出仕。翌四年四月十九日卒す。享年六十四歳。諡して文正院忠誠如雲。人となり謹厚忠直、文武に通じ、藩中維新の功第一とされる。明治十八年従四位追贈。同二十三年孫鈴太郎が華族に列せられ、男爵を授けられた。文正院忠誠如雲居士。(三百藩家臣人名事典)
 墓碑銘は「桂園田宮先生之墓」。

田宮如雲墓所

田宮如雲の墓
  
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ゆかりの地リンク
    田宮如雲宅址 中区 東外堀町2-5