人物総覧 さ 庄内藩 丁卯の大獄

名前 酒井右京
よみ さかいうきょう
生年 文化四年一月二十九日(一八〇七)
没年 慶応三年九月十一日(一八六七)
場所 山形県鶴岡市
分類 庄内藩家老
略歴

 庄内藩組頭酒井了安の二男。金剛若、元松、吉之丞(允)、玄蕃、了繁、幽園と称し、右京は隠居後の称である。文政3年3月一千三百石の家督を継ぎ、天保9年中老、同15年家老となった。文化8年竹内・白井派が退陣したのち水野誠栄が政権を握り、天保6年老齢をもって隠退するまで藩政を指導した。その後、誠栄の子水野内蔵丞が父ほどの大物でなかったため、両敬家といわれる酒井奥之助と酒井吉之允(右京)の発言力が増大。天保13年、八代藩主忠器は隠居し家督を長子忠発に譲ったが、同時に酒井奥之助、酒井吉之允、松平舎人らの重臣や忠器の寵臣大山庄太夫らによる忠発の廃立運動が開始された。最初は酒井家の分家で幕府の旗本であった酒井忠明を立てようとしたが、忠発が忠明を捕らえ、松山藩に押し込めたため挫折。次は忠発の弟忠中を担ぎ出そうとしたが、忠中の病死で未遂に終わった。次いで忠発の世子忠恕に期待をかけ、忠器の熱心な推進で忠恕と土佐藩山内豊熙の女瑛との婚約が調い、嘉永5年6月結婚式が行われた。時に忠恕は十四歳、瑛は十一歳であった。嘉永6年11月、忠恕が将軍家定に拝謁を許され摂津守に任ぜられたことを機会に、奥之助、吉之允、舎人らは忠発の隠居、忠恕の家督を求める陳情書を老中阿部伊勢守に提出。これは隠居忠器の意思の反映とみられる。しかし、その忠器は嘉永7年3月没し、改革派は最後の拠点を失った。大山庄太夫は用人の地位を失い、国許詰めを命ぜられた。嘉永六年のペリーの浦賀来航で鎖国の夢は破れ、国論は沸騰し佐幕開国論、尊王攘夷論、公武合体論などが渦巻いた。その中にあって庄内藩は佐幕一辺倒で押し通した。しかし、庄内藩にもそれに批判的な人々がいた。江戸詰めや江戸留学で世界の大勢を知った上野直記、赤沢隼之助、服部毅之助、深瀬清三郎、池田駒城や国学者広瀬厳雄、町医日下部宗伯、馬医佐藤収蔵、永原寛兵衛らが右京や庄太夫の周辺に集まり、公武合体派の松平慶永に通じて幕府の力によって忠恕の家督を期待したが、その忠恕も安政五年病死した。庄内藩と幕府の関係はますます緊密化し、文久3年新徴組が庄内藩に委託され、江戸市中警備を命ぜられた。翌元治元年末、右京と庄太夫は最後の陳情書を老中稲葉美濃守に提出。まさに無謀な行為であった。そのことが慶応2年家老松平権十郎の知るところとなり、同年10月末から改革派の逮捕が始まり、翌3年九月断罪が下され二十数名が処罰された。いわゆる「丁卯の大獄」である。右京は改革派の首領として切腹を命ぜられ、9月11日安国寺本堂で古式によって実施された。享年六十一歳。室は千代。明治元年12月4日没。(三百藩家臣人名事典より)
 墓碑銘は「宏徳酒井君墓」

酒井右京墓所

 
酒井右京の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
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