丁卯の大獄
名前 よみかた 没年 補足 場所 写真
赤沢隼之助 あかざわはやのすけ 1867 幕末の庄内藩士、海軍操練所で学ぶ 山形県鶴岡市
池田駒城 いけだくじょう 1873 江戸時代後期の庄内藩士、改革派 山形県鶴岡市
大山庄太夫 おおやましょうだゆう 1867 江戸時代後期の庄内藩士、天保の転封騒動に功、文久の藩政改革を画策、反対派により捕らえられ自刃 山形県鶴岡市
日下部宗伯 くさかべそうはく 1867 幕末の鶴岡の町医者 山形県鶴岡市
酒井右京 さかいうきょう 1867 江戸時代後期の庄内藩家老、幕末庄内藩改革派の首領、、丁卯の大獄で切腹 山形県鶴岡市
永原寛兵衛 ながはらかんべえ 1871 江戸時代後期の庄内藩右筆、丁卯の大獄に連座 山形県鶴岡市
服部毅之助 はっとりたけのすけ 1875 江戸時代後期の庄内藩儒家、公武合体を主張 山形県鶴岡市
広瀬厳雄 ひろせいずお 1874 江戸時代後期の国学者、丁卯の大獄に連座 山形県鶴岡市
深瀬清三郎 ふかせせいざぶろう 1867 江戸時代後期の志士、改革派、丁卯の大獄に連座、断罪される 山形県鶴岡市
松平舎人 まつだいらとねり 1867 江戸時代後期の庄内藩家老、丁卯の大獄で自刃 山形県鶴岡市