人物総覧 は  庄内藩 儒学者 丁卯の大獄

名前 服部毅之助
よみ はっとりたけのすけ
生年 文化七年(一八一〇)
没年 明治八年五月十六日(一八七五)
場所 山形県鶴岡市
分類 庄内藩儒
略歴

 庄内藩儒臣。藩儒服部純蔵嘉言の末子として生まれ、分家して新形の別荘に居住した。恭敬派の儒者大瀬準次郎の門弟で、天保十年九月致道館の助教となり、同十三年外舎長を兼ね、同十五年まで勤めた。その後、江戸在勤中に勝安房に入門して西洋兵学を修めた。酒井右京・松平舎人らの藩政改革の企てに共鳴、文久二年九月、改革派の推す十代藩主忠寛が急逝した直後、江戸に出発した家老石原平右衛門を斬ろうとして、暴風雨の夜に清川まで追い駆けている。同年十月、君側の奸を一掃しようとする建白書を勝安房を通して松平春岳に提出、さらに元治元年には公武合体を主張し、長州征伐に反対する意見書を幕閣に提出した。慶応二年十二月改革派の陰謀が発覚し、越訴の罪で禁錮入りに処せられた。取り調べを受けた毅之助は、国家の大勢を論じ庄内藩のとるべき道を説いて大目付の論告に反駁したという。翌三年九月親類の服部正蔵に預けられ、明治維新後に釈放された。明治八年五月十六日に六十六歳で没た。(庄内人名辞典より)
 墓碑銘は「服部玄蔵之墓」

服部毅之助墓所

服部毅之助の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
赤沢隼之助 改革派 幕末の庄内藩士、海軍操練所で学ぶ 山形県鶴岡市
池田駒城 改革派 江戸時代後期の庄内藩士、改革派 山形県鶴岡市
石原平右衛門 追跡 江戸時代後期の庄内藩家老、重親、庄内戦で遊撃隊を率いて清川口に出陣 山形県鶴岡市
上野直記 改革派 幕末の庄内藩士、漢学者 山形県鶴岡市
大瀬準次郎 江戸時代中期の庄内藩儒 山形県鶴岡市 寺の場所不明
大山庄太夫 改革派 江戸時代後期の庄内藩士、天保の転封騒動に功、文久の藩政改革を画策、反対派により捕らえられ自刃 山形県鶴岡市
勝海舟 幕末の幕臣、咸臨丸の艦長として太平洋を横断、神戸海軍操練所、江戸無血開城、明治時代は海軍卿、枢密顧問官、伯爵 東京都大田区
日下部宗伯 改革派 幕末の鶴岡の町医者 山形県鶴岡市
酒井右京 改革派 江戸時代後期の庄内藩家老、幕末庄内藩改革派の首領、、丁卯の大獄で切腹 山形県鶴岡市
酒井奥之助 改革派 江戸時代後期の庄内藩家老 山形県鶴岡市
永原寛兵衛 改革派 江戸時代後期の庄内藩右筆、丁卯の大獄に連座 山形県鶴岡市
服部純蔵 江戸時代中期〜後期の庄内藩儒 山形県鶴岡市
服部正蔵 親類 幕末の庄内藩士、二番大隊小隊長として従軍、戦死 山形県鶴岡市
広瀬厳雄 改革派 江戸時代後期の国学者、丁卯の大獄に連座 山形県鶴岡市
深瀬清三郎 改革派 江戸時代後期の志士、改革派、丁卯の大獄に連座、断罪される 山形県鶴岡市
松平舎人 改革派 江戸時代後期の庄内藩家老、、丁卯の大獄で自刃 山形県鶴岡市