人物総覧 い
 庄内藩

名前 石原平右衛門
よみ いしわらへいえもん
生年 文政二年六月七日(一八一九)
没年 明治十四年七月八日(一八八一)
場所 山形県鶴岡市
分類 庄内藩家老
略歴

 源八郎・騎太郎・重美・重親。家老。庄内藩組頭9代目石原平右衛門(重光)の子、天保14年(1843)7月家督を相続する。10月差立番頭より組頭に転じ嘉永2年(1849)辞して翌3年12月帰役、同6年(1853)4月中老に進んで家禄1700石となり平右衛門と称する。安政6年(1859)12月家老に任ぜられたが性温良で酒井右京らの藩政改革派と合わず、藩主酒井忠発の信用を得て重く用いられた。慶応4年(1868)戊辰戦争が起こると、4月24日遊撃隊を率いて清川口に出陣、その後は隠居忠発の側近にあって枢機に参与した。63歳で没した。(庄内人名事典)
 墓碑銘は「弘良院釈澄源居士」

石原平右衛門墓所
 
石原平右衛門重親の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
石原重雄 長男 幕末の庄内藩士、明治期の銀行家 山形県鶴岡市
石原平右衛門 祖父 江戸時代中期〜後期の庄内藩中老、重時 山形県鶴岡市
小池仲郁 推挙 江戸時代後期から明治中期の医者、蘭方医 山形県鶴岡市
酒井右京 政敵 江戸時代後期の庄内藩家老、幕末庄内藩改革派の首領、、丁卯の大獄で切腹 山形県鶴岡市
服部毅之助 追跡 江戸時代後期の庄内藩儒家、公武合体を主張 山形県鶴岡市

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