人物総覧 こ 庄内藩 米沢藩 医者 長崎遊学 蘭学者

名前 小池仲郁
よみ こいけちゅういく
生年 享和三年十月十五日(一八〇三)
没年 明治十六年七月二十六日(一八八三)
場所 山形県鶴岡市
分類 蘭方医
略歴

 米沢藩士小池仲伯の二男として米沢鮎貝町に生まれた。諱は信正。若い頃、長崎で蘭方医学を修業し、のち江戸の蘭医湊長安の門に学んだ。外科手術にも長じており、米沢藩医を勤めたが、天保年間、庄内の医師渡辺吉郎の周旋により鶴岡に移住し、三日町で開業した。当時の庄内藩家老石原平右衛門の紹介で鶴岡に来たという説もある。仲郁は文久2年(1862)12月石原平右衛門の推挙で藩主の子供の難病治療に携わり、治癒させた功により一代医師格五人扶持として庄内藩に召し抱えられた。翌年、表医師奥詰格に昇進した。鶴岡で初めて種痘を実施したと伝えられ、田沢清、佐久間順適、菅原文竜などの門人を育成した。明治12年(1879)医業を長男正敏に譲り隠居した。享年81歳(碑文では79歳)。(三百藩人名事典より)
 墓碑銘は「小池忠郁墓」

小池仲郁墓所

小池仲郁の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
石原平右衛門 推挙 江戸時代後期の庄内藩家老、重親、庄内戦で遊撃隊を率いて清川口に出陣 山形県鶴岡市
小池藤治郎 援助 明治期の薬屋 山形県鶴岡市
小池正直 明治時代の陸軍軍医、軍医総監、貴族院議員、男爵 東京都豊島区
田沢清 弟子 江戸時代後期〜明治期の医者、田澤稲舟の父 山形県鶴岡市
湊長安 江戸時代後期の医師、丹波篠山藩医、シーボルト門下 東京都渋谷区(写真不可)