名前 |
森藤右衛門 |
よみ |
もりとうえもん |
生年 |
天保十三年三月二十八日(一八四二) |
没年 |
明治十八年九月十六日(一八八五) |
場所 |
山形県酒田市 |
分類 |
自由民権運動家 |
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略歴 |
紫藤園。酒醤油醸造業唐仁屋先代森藤右衛門の次男。酒田本町で生れる。7歳で池田家の養子となったが養母に勘当され生家に戻る。慶応4年(1868)戊辰戦争に従軍する。学才あり翌明治2年(1869)酒田学而館の句読師に選ばれた。このころ酒田で飽海郡不平農民による天狗騒動が発生して世情不穏となり、同6年(1873)には鶴岡の士族金井質直,同允釐兄弟らが、県官の非をあげて司法省に訴える。米価暴騰のため近郷農民の動揺甚だしく、翌7年藤右衛門は金井らと謀って過納金の返還、雑税の全廃等を求め、村役人の不正を追及するなどの農民運動を指導する。同年9月金井らとともに上京して司法省に農民問題で提訴、10月つづいて左院に建白,翌8年には県官の滞免等を求めて元老院に建白書を提出して争う。明治9年(1876)から同10年にかけての児島惟謙(のちの大審院長)による裁判の結果、農民側に一部勝訴の判決があった(ワッパ事件)。藤右衛門は一時迫害を恐れて鶴岡七軒町に住んだが明治12年(1879)酒田に戻り、翌年片岡健吉、河野広中らの国会開設運動に参加して庄内で初めての政治結社尽性社を創設、同14年(1881)には酒田で両羽新報を発刊し、庄内における新聞のさきがけといわれた。同年酒田町戸長に推され同17年(1884)5月県会議員に選ばれたが在職中山形で病死した。享年44。子が無かったため絶家となる。(庄内人名事典より)
墓碑銘は「森氏墓」
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森藤右衛門墓所 |
森藤右衛門の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
石川養貞 |
尽性社 |
江戸時代後期〜明治期の医者 |
山形県東田川郡立川町 |
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伊藤雄次郎 |
交友 |
明治期初期の自由民権運動家 |
山形県鶴岡市 |
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大友宗兵衛 |
ワッパ事件 |
明治期初期の自由民権運動家 |
山形県鶴岡市 |
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金井允釐 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩士、維新後警部、判事 |
東京都港区 |
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金井質直 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩士、維新後官吏 |
山形県鶴岡市 |
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児島惟謙 |
ワッパ事件 |
幕末の宇和島藩志士、維新後名古屋裁判所長、大審院長。自由党大阪事件、大津事件など |
東京都品川区 |
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菅原次郎 |
ワッパ事件 |
明治初期の官吏、ワッパ事件を鎮撫 |
山形県酒田市 |
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菅実秀 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩家老、維新後官吏、『南洲翁遺訓』を刊行 |
山形県鶴岡市 |
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高橋直勝 |
交友 |
明治期の地方政治家 |
山形県酒田市 |
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筒井酉治 |
学而館 |
明治中期の神職 |
山形県飽海郡遊佐町 |
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鳥海時雨郎 |
同志 |
明治期の自由民権運動家、政治家、 |
山形県飽海郡遊佐町(2カ所) |
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西岡周碩 |
学而館 |
明治期の判事、函館控訴院長 |
神奈川県小田原市 |
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野附彰常 |
学而館 |
江戸時代後期の庄屋、明治期の教育家 |
山形県酒田市 |
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土方恕平 |
交友 |
明治期〜大正期の事業家 |
山形県飽海郡松山町 |
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二木栄松 |
交友 |
明治期初期の教師 |
山形県酒田市 |
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松平親懐 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩家老、藩内改革派を弾圧、維新後大泉藩大参事、酒田県参事、後田山開墾総取締 |
山形県鶴岡市 |
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松本清治 |
学而館・尽性社 |
明治期の地方政治家 |
山形県酒田市 |
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三島通庸 |
ワッパ事件 |
幕末の薩摩藩士、明治期の官僚、酒田、鶴岡、山形、福島、栃木県令、警視総監。民権運動家を弾圧 |
東京都港区 |
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宮田角右衛門 |
学而館 |
明治中期の教師 |
山形県酒田市 |
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山岸貞文 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩士、維新後松ケ岡開墾を指揮、第六十七国立銀行頭取、ワッパ事件を鎮圧 |
山形県鶴岡市 |
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芳泉蘭堂 |
学而館 |
明治期の画家 |
山形県酒田市 |
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