名前 |
伊藤雄次郎 |
よみ |
いとうゆうじろう |
生年 |
天保十二年一月十五日(一八四一) |
没年 |
明治三十八年(一九〇五)七月三日 |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
自由民権運動家 |
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略歴 |
義興。飽海郡鵜渡川原村須藤繁三郎の次男として生れる。一時白崎の姓を名乗ったが、のち碩儒伊藤鳳山の宗家伊藤雄之助(旧姓真島)の養子とり跡を継ぐ。戊辰戦争時は庄内藩の勘定方をつとめた。維新後は横浜で貿易にたずさわり新知識を得て帰郷し鶴岡に移る。明治14年(1881)森藤右衛門、鳥海時雨郎とともに酒田で両羽新報を創刊、以来自由民権思想を普及するために活躍する。かたわら新潟石油の採掘を企てて失敗し産を失い、明治18年(1885)45歳のとき失明して盲目となったため「あんま」を業とし、その後娘鶴代の孝養によって生活が支えられた。65歳で没した。庄内における自由民権運動の先駆者。(庄内人名事典)
墓碑銘は「「諦善院雄憲日順居士」」
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伊藤家墓所 |
伊藤雄次郎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
伊藤恭太郎 |
長男 |
明治期〜昭和初期の医師 |
山形県鶴岡市 |
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伊藤鶴代 |
長女 |
明治期〜昭和初期の教育者 |
山形県鶴岡市 |
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鳥海時雨郎 |
交友 |
明治期の自由民権運動家、政治家、 |
山形県飽海郡遊佐町(2カ所) |
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森藤右衛門 |
交友 |
明治初期の自由民権運動家、ワッパ騒動の指導者 |
山形県酒田市 |
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ゆかりの地リンク
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