人物総覧 い
 医者 朝暘学校

名前 伊藤恭太郎
よみ いとうきょうたろう
生年 明治三年五月五日(一八七〇)
没年 昭和四年十一月二十八日(一九二九)
場所 山形県鶴岡市
分類 医者
略歴

 医師。鶴岡宝町に自由民権論者伊藤雄次郎の長男として生れる。女子教育者伊藤鶴代は弟。明治16年(1883)朝暘学校を卒業し、医師を志して鶴岡五日町の医師進藤悠哉の門下生となる。明治22年(1889)姉の勧めで上京し、東京医学校済生学舎に入り明治25年(1892)同校を卒業、翌年医術開業免状を取得し帰郷して鶴岡日和町に医院を開く。明治29年(1896)町医に選ばれ次いで西田川郡副郡医をも兼ねる。大正10年(1921)ごろには西田川郡医師会長となる。この間明治32年(1899)ごろ鶴岡で疫病が流行すると避病院の設置を提唱してこれを実現させ、伝染病予防委員を引き受け、多くの学校の校医を兼務するなどその予防と施療に心血を注いだ。大正13年(1924)鶴岡の市制施行とともに市会議員に選出され、初代の市医師会長となって診療のかたわら地域における衛生知識の向上と衛生施設の拡充強化に尽くした。60歳で死亡。(庄内人名事典より)
 墓碑銘は「醫芳院順徳日恭居士」

伊藤家墓所

伊藤恭太郎の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
伊藤鶴代 明治期〜昭和初期の教育者 山形県鶴岡市
伊藤雄次郎 明治期初期の自由民権運動家 山形県鶴岡市
進藤悠哉 江戸時代後期〜明治期の医者 山形県鶴岡市


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
朝暘学校跡碑 山形県鶴岡市馬場町9-1 卒業生