名前 |
金井允釐 |
よみ |
かないいんり |
生年 |
天保八年五月八日(一八三七)
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没年 |
明治十九年二月五日(一八八六) |
場所 |
東京都港区 |
分類 |
庄内藩士・警部 |
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略歴 |
小三郎・萃丘。庄内藩小姓頭金井男四郎(允文)の3男として鶴岡に生れる。致道館に学んで安政5年(1858)5月本多甚右衛門の婿養子となる。詩文章に長じて書をよくしたため、典学兼助教に選ばれて外舎長をつとめた。明治6年(1873)5月兄金井貿直らとともに松平親懐、菅実秀ら県官の非政をあげて司法省に訴え、つづいて酒田の商人森藤右衛門を中心とする石代納等貢納の是正を求める庄内の農民騒動を指導して翌7年9月逮捕される、世に「ワッパ事件」といわれた。のちに釈放されて、同9年(1876)金井姓に戻る。明治10年上京して警視庁警部となり、同12年(1879)警視に進む。明治15年(1882)検事に任ぜられて仙台および函館の裁判所に勤務、同17年(1884)12月山形始審裁判所米沢支庁に移り50歳で没した。東京青山墓地に埋葬。長女菊浦は司法大臣松室致の妻。(庄内人名事典)
墓碑銘は「金井允釐君墓」
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金井允釐墓所 |

金井允釐の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
大友宗兵衛 |
ワッパ事件 |
明治期初期の自由民権運動家 |
山形県鶴岡市 |
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金井質直 |
兄 |
幕末の庄内藩士、維新後官吏 |
山形県鶴岡市 |
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栗原進徳 |
兄 |
幕末の庄内藩士、維新後法律家 |
山形県鶴岡市 |
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黒川友恭 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩士、明治期の銀行家 |
情報求む |
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児島惟謙 |
ワッパ事件 |
幕末の宇和島藩志士、維新後名古屋裁判所長、大審院長。自由党大阪事件、大津事件など |
東京都品川区 |
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菅原 次郎 |
ワッパ事件 |
明治初期の官吏、ワッパ事件を鎮撫 |
山形県酒田市 |
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菅実秀 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩家老、維新後官吏、『南洲翁遺訓』を刊行 |
山形県鶴岡市 |
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松平親懐 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩家老、藩内改革派を弾圧、維新後大泉藩大参事、酒田県参事、後田山開墾総取締 |
山形県鶴岡市 |
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松室菊浦 |
長女 |
明治期〜昭和期の司法官、政治家松室至の妻 |
東京都青山区 福岡県京都郡豊津町 |
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三島通庸 |
ワッパ事件 |
幕末の薩摩藩士、明治期の官僚、酒田、鶴岡、山形、福島、栃木県令、警視総監。民権運動家を弾圧 |
東京都港区 |
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森藤右衛門 |
ワッパ事件 |
明治初期の自由民権運動家、ワッパ騒動の指導者 |
山形県酒田市 |
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山岸貞文 |
ワッパ事件 |
幕末の庄内藩士、維新後松ケ岡開墾を指揮、第六十七国立銀行頭取 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク
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