名前 |
栗原進徳 |
よみ |
くりはらしんとく |
生年 |
天保六年十一月二十三日(一八三五) |
没年 |
没年不詳 |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩士・法律家 |
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略歴 |
小二郎・友右衛門。旧藩士。庄内藩士金井男四郎(允文)の次男として鶴岡に生れる。嘉永3年(1850)8月母の生家栗原友右衛門(敬親)の養嗣子となり,安政2年(1855)3月家督を継いで家禄200石のうち170石を相続した。明治6年(1873)県官の非行・苛政を司法省に訴え出て,以来兄金井質直および弟金井(本多)允釐らと農民騒動を指導する。同8年(1875)には酒田と鶴岡に法律学舎を設けてみずから校主となり,仙台から代言人清水斉記を講師に招いて同調者に対する法律知識の普及につとめた。没後鶴岡龍蔵寺に埋葬。なお,長男幹は明治17年(1884)東京帝国大学法科大学を卒業し,のちに裁判所判事となる。(庄内人名辞典)
墓碑銘は「栗原進徳君之墓」
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栗原進徳墓所 |
栗原進徳の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
金井允釐 |
弟 |
幕末の庄内藩士、維新後警部、判事 |
東京都港区 |
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金井質直 |
兄 |
幕末の庄内藩士、維新後官吏 |
山形県鶴岡市 |
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