名前 |
二木栄松 |
よみ |
ふたきえいしょう |
生年 |
嘉永六年八月十五日(一八五三) |
没年 |
明治二十一年七月七日(一八八八) |
場所 |
山形県酒田市 |
分類 |
教育者 |
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略歴 |
酒田大町尾形又兵衛の次男に生れる。のち本町三丁目二木与助の養子となる。二木家は加賀屋と号した旧家で代々町年寄をつとめた。明治6年(1873)酒田ではじめての女子小学校として操松学校が創設されたとき自宅を校舎に開放、女子教育者として知られた小川宮子が県令三島通庸に依頼により運営に当り、栄松は船場町に開設された漸進学校の教師となる。酒田の行政にも力を尽して民権家森藤右衛門と深く交友した。享年36。(庄内人名辞典より)
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二木栄松墓所 |
二木栄松の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
小川宮子 |
操松学校 |
明治期の教育者 |
栃木県大田原市 |
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森藤右衛門 |
交友 |
明治初期の自由民権運動家、、ワッパ騒動の指導者 |
山形県酒田市 |
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