人物総覧 ひ 尾張藩 医家 歌人

名前 平野広臣
よみ ひらのひろおみ
生年 安永二年(一七七三)
没年 嘉永六年九月二十五日(一八五三)
場所 愛知県名古屋市天白区
分類 尾張藩医
略歴

 初名は方穀、通称は春芳。父も尾張藩に医で仕えた春策。藩主徳川斉朝・斉温・斉荘・慶臧・慶勝に仕える。文化13年(1816)に家を継いで寄合医師となり、春策を称した。文政6年から世子斉温の侍医として江戸に在住、天保10年斉温が没するまでその職につとめた。天保14年から弘化3年まで近衛基前室(維学心院)の侍医。名古屋に戻る。禄は何度も加増されて三百俵になり、嘉永6年(1853)には藩より老年の故ゆえ登城して務める回数を月に五、六回に緩める命を受けた。また広臣は寛政12年に本居宣長の門に入り、宣長が没後はその子の春庭に従い、のち江戸に出て小林歌城に歌を学んでいる。また神谷三園、平出亀寿、柴田海城、岡田文園らとともに同好会を開き、好古の道を研究した。法諡は上池院釈平心玉翁居士。
 墓碑銘は「平野広臣墓」

平野広臣墓所

 
平野広臣の墓
  
ゆかりの人物リンク
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