名前 |
張月樵 |
よみ |
ちょうげっしょう |
生年 |
安永元年(一七七二) |
没年 |
天保三年六月二十二日(一八三二) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
絵師 |
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略歴 |
名は行貞、字は元啓、通称は晋蔵、後に快助と更む。月樵は其号、別号に醉霞党の号あり。張氏は張振甫の家より貽られしものと云ふ。京師の人なり。夙に画を好み、市川君圭、松村呉春に就いて学び、後京に出でて舟溪の門に入る。依つて月樵と号す。最も花鳥人物を善くす。清人陳南溪の風を慕ひて自ら一家を為す。十七八歳の頃東雲と共に名古屋に来り、桜之町霊岳院に寓居す。後に山田宮常の旧居を継ぐ。即ち富士見の西側小閭の中に在り。其家牀を施す地より高き六尺許り。月樵此に坐して以て揮毫す。画名漸く播く、求むる者踵を接す。遂に機材山積するに至る。文政の大火に此家災に罹り、後に米屋横町に移る。月樵風韻清疎、飲酒三斗、世路を染まず。後藩命を受けて、城内の杉戸・襖等に描き、終に用人支配となり、帯刀を許さる。天保三年六月二十二日没す。享年六十八。張山月樵と諡す。長子月戴家を継ぐ。六十八歳。(名古屋市史)
墓碑銘は「張山月樵居士」。
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張月樵墓所 |

張月樵の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
市川君圭 |
師 |
江戸時代中の画家 |
京都市東山区 |
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大石真虎 |
門人 |
江戸後期の大和絵師 |
名古屋市天白区 |
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貝谷采堂 |
門人 |
江戸時代中期〜後期の絵師 |
名古屋市千種区 |
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張晋斎 |
長男 |
幕末〜明治初期の絵師 |
名古屋市千種区 |
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張振甫 |
先祖 |
江戸時代初期の明国帰化人、尾張藩医 |
名古屋市千種区 |
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沼田月斎 |
門人 |
江戸後期の尾張藩士、絵師 |
名古屋市千種区 |
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浜島月濤 |
弟子 |
江戸時代後期の開拓者(木之山村:大府市)、俳人 |
愛知県大府市 |
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牧朴斎 |
弟子 |
江戸時代後期の陶工、篠島(笹島)焼の創始者 |
名古屋市中村区無縁墓内 |
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松村月渓 |
師 |
江戸時代中の画家、俳人、呉春 |
京都市左京区 |
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箕浦信也 |
弟子 |
江戸時代後期の尾張藩御用達商人 |
愛知県海部郡甚目寺町 |
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村瀬秋水 |
弟子 |
江戸時代後期の画家 |
岐阜県美濃市 |
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山田宮常 |
旧居 |
江戸時代中期の南画家 |
名古屋市千種区 |
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山本梅逸 |
門人 |
江戸後期の南画家 |
名古屋市千種区
京都市上京区 |
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寄田九峯 |
門人 |
江戸後期の絵師 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
富士見が原 |
愛知県名古屋市
中区上前津
(不二見町付近)
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葛飾北斎の富岳三十六景にも描かれた景勝の地としてしられています。尾張藩の重臣で俳人として知られる横井也有が、別荘第一号の主となって以来、多くの文人が隠棲の地として居を定めています。
張月樵も富士見が原に寓居を求めた一人です。
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