人物総覧 わ 庄内藩 松ケ岡開墾

名前 和田光観
よみ わだこうかん
生年 天保八年四月二十二日(一八三七)
没年 明治三十一年十二月二十四日(一八九八)
場所 山形県鶴岡市
分類 庄内藩士
略歴

 助弥・伯緝・桂窓。庄内藩士和田権蔵(光正)の長男。戊辰庄内戦争録を著わした和田東蔵(行信)は叔父にあたる。幼少のころより俊才の評判があり、安政2年(1855)3月藩世子酒井忠恕の近習に選ばれた。のちに藩校致道館の学監となり、慶応4年(1868)2月家督を継いで禄100石。戊辰戦争時は軍事掛、郡代をつとめて藩主の側近で活躍した。戦後その功により300石となる。明治2年(1869)9月大泉藩権少参事、同4年(1871)11月酒田県大属。菅実秀に師事して後田山開墾事業(のちの松ヶ岡開墾)を隠居の旧藩主酒井忠発に建議し、翌5年(1872)実現した。同12年(1879)9月隠居してからは、詩文章に長じて書をよくしたので旧藩の子弟らに経書を講じて暮らした。62歳で没した。能吏として知られた勝山重良は実弟。著書に「松陵難詩」「桂窓遺稿」がある。(庄内人名事典より)
 墓碑銘は「晃隆和田君墓」
 

和田光観墓所

和田光観の墓

ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
石井武膳 追討宥免嘆願 江戸時代後期〜明治初期の庄内藩士 山形県鶴岡市
勝山重良 幕末の庄内藩士、維新後官吏 山形県鶴岡市
酒井忠恕 主君 江戸時代後期の庄内藩世子、急逝 山形県鶴岡市
菅実秀 幕末の庄内藩家老、維新後官吏、『南洲翁遺訓』を刊行 山形県鶴岡市
高橋省助 追討宥免嘆願 江戸時代後期〜明治初期の庄内藩郡代 山形県鶴岡市
和田光観 追討宥免嘆願 幕末の庄内藩士、維新後官吏 山形県鶴岡市
和田東蔵 叔父 幕末の庄内藩士、新徴組半隊長、維新後維新史研究 山形県鶴岡市


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
松ヶ岡開墾場 山形県東田川郡羽黒町猪俣新田 松ケ岡開墾の指揮