名前 |
山高瑛三郎 |
よみ |
やまたかえいざぶろう |
生年 |
弘化元年十一月六日(一八四四) |
没年 |
大正八年十二月二十九日(一九一九) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
幕臣・開拓者 |
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略歴 |
信睦。幕府旗本山高十右衛門(信平)の3男として江戸で生れた。神田講武所で高島秋帆、勝海舟らに学んだ。文久2年19歳のとき将軍徳川慶喜に随従して京都に上り、元治元年蛤御門の変が起こると同僚とともに宿直して護衛に当る。慶応3年部下25人を指揮して鳥羽伏見の戦いに参加、敗れて江戸に戻り、旧幕府勢力の遊撃隊を指揮したのち庄内に来て酒田で新兵の訓練に当った。庄内開城後の明治2年兵部省の拘引で広島に収監、翌3年3月釈放されて東京に帰る。その後再び庄内に戻り、当時大泉藩参事を勤めていた松平親懐(権十郎)の義弟となってその分知をうけ、松平信任と姓名を改めた。明治5年松ケ岡開墾が始まると榊原組に属してこれに参加、のち旧藩主酒井家の家職となる。明治11年11月南村山郡学区取締となって山形に移住、その後、南村山郡および飽海郡等の書記を歴任し、明治31年(1898)ごろには東根葉煙草専売所に勤務した。76歳のとき鶴岡で死亡した。(庄内人名事典)
墓碑銘は「松平信任之墓」
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山高瑛三郎墓所 |
山高瑛三郎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
勝海舟 |
師 |
幕末の幕臣、咸臨丸の艦長として太平洋を横断、神戸海軍操練所、江戸無血開城、明治時代は海軍卿、枢密顧問官、伯爵 |
東京都大田区 |
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榊原十兵衛 |
開墾 |
幕末の庄内藩士、維新後事業家 |
山形県鶴岡市 |
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高島秋帆 |
師 |
江戸時代後期の砲術家、幕臣、講武所師範役 |
長崎県長崎市 東京都文京区 |
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竹内右膳 |
同志 |
幕末の庄内藩士、新徴組頭 |
山形県鶴岡市 |
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徳川慶喜 |
主君 |
江戸幕府15代将軍、大政を奉還 |
東京都台東区 |
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松平親懐 |
義兄 |
幕末の庄内藩家老、藩内改革派を弾圧、維新後大泉藩大参事、酒田県参事、後田山開墾総取締 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
松ヶ岡開墾場 |
山形県東田川郡羽黒町猪俣新田 |
松ケ岡開墾の指揮 |
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