人物総覧 さ 庄内藩 松ケ岡開墾 銀行家

名前 榊原十兵衛
よみ さかきはらじゅうべえ
生年 天保三年三月十八日(一八三二)
没年 明治三十五年七月三十一日(一九〇二)
場所 山形県鶴岡市
分類 銀行家
略歴

 政敏。事業家。庄内藩の小姓頭をつとめた榊原隼人の長子として鶴岡馬場町に生れた。武術に励み田宮流槍術の奥伝をきわめた。慶応4年(1868)の戊辰戦争に大砲隊長として出陣し、吹浦口・越後および秋田方面に転戦した。維新後は明治5年(1872)5月馬術免許を取得、その後松ケ岡開墾に従事した。翌年に前橋・高崎・伊達等に行き、養蚕技術を視察、桑の種苗を開墾後の松ケ岡の地で栽培する。明治8年(1875)に政府の委嘱による北海道開墾に組頭として参加し、函館大野村の原野を開いて桑の植付けを行う。しかし旧藩の指導者菅実秀らと意見合わず、松ケ岡より退いて明治11年(1878)石原重雄、永井善兵衛らと第六十七国立銀行を設立した。明治12年(1879)に西田川郡鼠ヶ関村早田に製塩社をつくり、万年橋に製糸場盛産社を興し、同郡山戸村等で桑苗の植栽指導をしたほか、酒造業、商業、海運事業にも関係した。明治35年(1902)、71歳で没したが、大正5年(1916)10月開催の奥羽六県共進会で殖産興業の先覚者として表彰された。(庄内人名事典)
 墓碑銘は「明鑑院忠誉運心義道居士」

榊原家墓所

 
榊原十兵衛の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
石井武膳 第六十七国立銀行 江戸時代後期〜明治初期の庄内藩士 山形県鶴岡市
石原重雄 第六十七国立銀行 幕末の庄内藩士、明治期の銀行家 山形県鶴岡市
榊原政雄 明治期〜昭和初期の事業家 山形県鶴岡市
菅実秀 対立 幕末の庄内藩家老、維新後官吏、『南洲翁遺訓』を刊行 山形県鶴岡市
松宮長貴 共同事業 幕末の庄内藩中老、維新後北海道開拓 山形県鶴岡市
山高瑛三郎 部下 幕末の幕臣、維新後松ケ岡開墾等 山形県鶴岡市


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
松ヶ岡開墾場 山形県東田川郡羽黒町猪俣新田 桑の種苗を開墾後の松ケ岡の地で栽培