名前 |
竹内右膳 |
よみ |
たけのうちうぜん |
生年 |
天保十三年十月十五日(一八四二) |
没年 |
明治四十一年十一月二十七日(一九〇八) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩家老・新徴組頭・松ケ岡開墾 |
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略歴 |
総之助・茂祐・南山・子吉。庄内藩士竹内主馬(茂済)の子として鶴岡に生れる。中老をつとめた八郎右衛門(茂正)の孫。慶応元年(1865)5月1100石の家督を継いで番頭,7月には組頭に任ぜられ,同3年(1867)12月25日の庄内藩による薩摩屋敷焼討に参加した。翌4年4月組持番頭として戊辰戦争に出陣,吹浦口より秋田領雄物川畔まで進攻した。明治2年(1869)軍功により加増して1200石新徴組取扱を命ぜられ,同5年(1872)に松ケ岡開墾が始まると新徴組頭として指揮をとり,かたわら鶴岡の戸長も勤めた。開墾終了後も総長松平親懐(権十郎)の補佐となって本陣に起居し,三十余年間にわたって開墾場の経営に尽瘁した。67歳で死亡。詩および書に秀でた。(庄内人名事典)
墓碑銘は「南山竹内君墓」
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竹内家墓所 |
竹内右膳の墓 |
竹内右膳の墓(接近) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
竹内八郎右衛門 |
祖父 |
江戸時代後期の庄内藩中老、茂正。印旛沼疎水工事総奉行 |
山形県鶴岡市 |
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松平親懐 |
同志 |
幕末の庄内藩家老、藩内改革派を弾圧、維新後大泉藩大参事、酒田県参事、後田山開墾総取締 |
山形県鶴岡市 |
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山高瑛三郎 |
同志 |
幕末の幕臣、維新後松ケ岡開墾等 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
松ヶ岡開墾場 |
山形県東田川郡羽黒町猪俣新田 |
松ケ岡開墾を指揮 |
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