人物総覧 た
 庄内藩

名前 竹内八郎右衛門
よみ たけのうちはちろうえもん
生年 寛政十一年(一七九九)
没年 天保十五年一月六日(一八四四)
場所 山形県鶴岡市
分類 庄内藩中老
略歴

 敏五郎・主殿・四郎・茂正・右膳・子厚・柏園。家老竹内八郎右衛門(茂林)の次男。はじめ里見外記の養子に入ったが,兄五兵衛が文政8年(1825)病死したため生家に戻る。天保元年(1830)父茂林の跡を継いで1100石の家督を相続し上席番頭となった。翌2年組頭に進み,同9年(1838)8月中老に任ぜられて,同14年(1843)に印旛沼疎水工事の総奉行として赴任,在勤中病を得て死亡する。享年46。江戸芝清光寺に埋葬。嫡子主馬(茂済)は前年冬の雲雀網一件により閉居中のため相続が許されず,次男権之進が9歳で跡を継いだが弘化4年(1847)7月12歳で夭折し,主馬が特に赦免をうけて1100石の家督を継いだ。(庄内人名事典)
 墓碑銘は「故太夫柏園竹内君墓」

竹内家墓所

竹内八郎右衛門の墓

竹内八郎右衛門の墓(接近)
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
里見外記 一時養父 江戸時代中期〜後期の庄内藩家老、義裕、亀ヶ崎城代 山形県鶴岡市
竹内右膳 幕末の庄内藩士、新徴組頭 山形県鶴岡市
竹内八郎右衛門 祖父 江戸時代中期〜後期の庄内藩家老、茂樹。寛政改革を断行 山形県鶴岡市
竹内八郎右衛門 江戸時代後期の庄内藩中老、茂林。土屋両義士の仇討に立ち会う 山形県鶴岡市