人物総覧 ま  尾張藩 絵師・画家

名前 牧墨僊
よみ まきぼくせん
生年 安政四(一七七五)
没年 文政七年四月八日(一八二四)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 尾張藩士、絵師
略歴

 安政四年尾張国名古屋において生まれた。名は信盈、通称助左衛門または新次郎。号北僊、百斎、月光亭、北亭、斗円楼などと号した。五歳で家督を継ぎ寛政八年(一七九六)江戸勤務を命ぜられた。文化二年(一八〇五)師歌麿没後葛飾北斎の門に入り、北僊または百斎を名乗る。のち名古屋に帰り北斎の遺作『北斎漫画』の刊行を名古屋永楽堂に世話するなど中京地区の文化人として名が知られるに至った。絵画を喜多川歌麿らに学び人物画を得意とし著作『写真学筆』がある。西洋銅版画を学び寛政一三年(一八〇一)西洋暦を銅版で作成、さらに伊勢の蘭方医越村徳基(士祥)がドイツ人医師ハイステルの著作から編纂した『瘍科精選図解』(文政三)に銅版でハイステルの肖像などを作成した。中京系銅版画の先駆者とされる。文政七年四月八日死去。行年五〇歳。法名大寿院亀岩墨僊居士。
 墓碑銘は「大寿院亀岩墨僊居士」。


牧墨僊墓所

牧墨僊の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
葛飾北斎 江戸後期の浮世絵師。『北斎漫画』、『富岳三十六景』 東京都台東区
喜多川歌麿 江戸中期の浮世絵師 東京都世田谷区
沼田月斎 弟子 江戸後期の尾張藩士、絵師 名古屋市千種区
森高雅 弟子 江戸後期の浮世絵師 名古屋市千種区

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