名前 |
森高雅 |
よみ |
もりたかまさ |
生年 |
寛政三年(一七九一) |
没年 |
元治一年五月四日(一八六四) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
浮世絵師 |
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略歴 |
通称は右門、初め玉僊と号し、別に蝦翁菊亭・素堂・三光堂・紫川亭等の号あり。諱を以て著はる。初め吉川一溪に就きて狩野派の画法を学ぶ。次いで竹洞の門に入り、又牧墨僊に学ぶ。其後一家を開き、専ら浮世絵婦人画を描く。門生頗る多し。佐野卑にして世利に奔るの癖あり。嘗て門生を教育するに階級を設け、始めて入門する者は、朱紫色などの彩料を使用する事を禁ず。業漸く進もに及びて朱を許し、又紫を免す。其昇級毎に若干の謝儀を致さしめ、又画号の一字を護り、名を授与するにも、定額の資を出すことゝす。故に其家生計に苦むが如きことなし。尾張名所図会の挿図中、数十葉は高雅が筆にして、見るべきもの多し。中年後、古土佐の風を慕ひ、天保五年、土佐光孚の門に入り、画風の改良に力む。而かも俗調を脱する能はず真の土佐風に至らずして終れり。初め鉄砲町に住し、次に呉服町六丁月に暫く移居し、夫れより横三ッ蔵に移り、又呉服町一丁目に住す。元治元年五月四日卒す。年七十四。釈法林と諡す。其子高景・父の業を嗣ぐと雖、筆力大に劣れり。高雅の門人頗る多し。法林信士。(名古屋市史)
墓碑銘は「 翁森高雅之墓」。
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森高雅墓所 |

森高雅の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
石川不成 |
門人 |
幕末〜明治期の尾張藩士、画家 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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小田切春江 |
門人 |
幕末の尾張藩士、絵師 |
名古屋市千種区 |
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加藤琵琶彦 |
門人 |
江戸時代後期の狂歌師 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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亀井半二 |
門人 |
江戸時代後期の陶工、画家 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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鬼頭道恭 |
門人 |
幕末〜明治期の画家 |
名古屋市昭和区 |
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木村金秋 |
門人 |
明治期の画家 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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児島基隆 |
弟子 |
幕末〜明治時代の日本画家、神職 |
愛知郡東郷町 |
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小寺玉晁 |
門人 |
幕末〜明治初期の俳人、画家 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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土佐光孚 |
師 |
江戸時代中期〜後期の絵師 |
京都市左京区 |
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丹羽閑斎 |
門人 |
幕末の尾張藩士 |
東京都台東区 |
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日比野白圭 |
門人 |
明治期の画家 |
名古屋市昭和区(碑)
名古屋市千種区 |
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牧墨僊 |
師 |
江戸中期の尾張藩士、絵師 |
名古屋市千種区 |
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吉川一渓 |
師 |
江戸時代後期の画家 |
名古屋市千種区 |
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笠亭仙果 |
門人 |
江戸時代後期の戯作者、初代 |
東京都江東区 |
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