名前 |
日比野白圭 |
よみ |
ひびのはっけい |
生年 |
文政八年(一八二五) |
没年 |
大正三年三月三十日(一九一四) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
画家 |
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略歴 |
名は斎、通称は金吾、白圭は其号、別に竹翁・風声居の号あり。尾張藩士間瀬伝蔵の第二子、出でて日比野氏を嗣ぐ。甫めて九歳、画を竹田景甫に学び、十歳の頃更に鈴村景山の門に入り、十七歳にして森高雅に従ふ。而かも師法のみを墨守せず、諸家を渉獵して別に一家を為す。最も古代の人物を寫すに長ず。明治十五年、東京に開催せる絵画共進会天覧の際、白圭画く所の元禄風俗の図を嘉し給ひ、命じて画を徴せらる乃ち斎戒思を凝し、揮毫して之を獻る。実に光栄なり。是より其居を風声と号せり。白圭性高簡にして態く貧に安んず。晩年名声籍甚、画を乞ふ者麕至するも輙く応せず。曰く吾は士なり、画工にあらずと。常に茶を点じ、花に灌ぎ、優游以て歳を卒る。其の愛国憂世の志は往々画を仮りて発揮せりといふ。大正三年三月三十日卒す。享年九十。風声[戸立]竹と諡す。死に先ちて門人相謀り寿碑を八事山に建て、題して白圭日比野先生之碑と曰ふ。(名古屋市史)
墓碑銘は「鳳声[尸立]竹翁居士」
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日比野白圭墓所 |

日比野白圭の墓 |

白圭日比野先生之碑 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
鈴村景山 |
師 |
江戸時代後期の画家 |
情報求む |
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竹田景甫 |
師 |
江戸時代後期の画家 |
情報求む |
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森高雅 |
師 |
江戸後期の浮世絵師 |
名古屋市千種区 |
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森村∴ |
弟子 |
明治後期〜昭和初期の画家 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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ゆかりの地リンク
白圭日比野先生之碑 名古屋市昭和区興正寺
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