名前 |
深田九皐 |
よみ |
ふかだきゅうこう |
生年 |
元文元年十月十五日(一七三六) |
没年 |
享和二年七月十三日(一八〇二) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士・儒学者 |
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略歴 |
深田家五代。名は正益、字は子謙、九皐と号す、通称は彦九郎、慎斎の第二子にして、元文元年十月十五日を以て生る、兄厚斎子無きを以て養ひて嗣となす、幼にして家学を受け、世子治休の奥番小納戸、世子治興の庭足軽頭となり、共に伴読に備はる、禄を襲ぐの後、国奉行、黒門足軽頭、書庫奉行等の諸職を歴て、用人と為り寺社奉行を兼ね、後又側用人に昇り、任ずる所皆能名あり。九皐人と為り、清秀聰敏、寛洪にして識あり、材は専封に足り、智は機に応ずべし、深く世故に通じ、得喪の為に欣戚せず、経史に渉り、詩文を能くし、歌、連歌に至る迄、達せざる所なし、暇あるときは琵琶を弾じて平家を歌ふ、聴く者倦むを忘る、当時の士、藩中の人物を論じて九皐を以て第一流となす、享和二年七月十三日没す、享年六十七。著す所惺惺斎浸録、日抄、戯言等あり。信誉義厚九皐居士。(名古屋市史)
墓碑銘は「深田九皐之墓」。(名古屋市史)
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深田九皐墓所 |
深田九皐の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
朝倉景員 |
親交 |
江戸時代中期の尾張藩士、国学者 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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神村忠貞 |
親交 |
江戸時代中期の国学者。正鄰の養子 |
愛知県刈谷市 |
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神村正鄰 |
親交 |
江戸時代中期の国学者、尾張藩士 |
名古屋市千種区 |
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河村秀穎 |
親交 |
江戸時代中期の尾張藩士・国学者 |
名古屋市天白区 |
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徳川宗睦 |
主君 |
江戸時代中期の大名(尾張藩)、9代藩主。藩校明倫堂を創設 |
小牧市 |
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徳川治休 |
教育 |
江戸時代中期の尾張藩世子、尾張藩主徳川宗睦の長子 |
名古屋市東区 残骸のみ
遺骨は瀬戸市 |
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深田厚斎 |
兄 |
江戸時代の尾張藩士、儒者、慎斎の長子 |
名古屋市天白区 |
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深田香実 |
長男 |
江戸時代後期の儒者、九皐の長男、尾張藩書物奉行、『尾張志』編纂 |
名古屋市天白区 |
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深田慎斎 |
父 |
江戸時代中期の尾張藩士、儒者 |
名古屋市天白区 |
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深田精一 |
孫 |
江戸時代後期の儒者、香実の長男、金鉄党 |
名古屋市天白区 |
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