名前 |
彦坂八兵衛 |
よみ |
ひこさかはちべえ |
生年 |
寛永元年(一六二四) |
没年 |
正徳二年十一月二(一七一二) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士・剣術家 |
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略歴 |
円明流。名は忠重。後に愚入と号す。彦坂主膳政勝の二男。はじめ無二流の山田左近太夫盛次(青木常右衛門金家より鉄人実手流を学んで一派をたてた)に学び、後に宮本武蔵玄信にもついたらしいが、尾州に来た竹村与右衛門頼角の門人となって皆伝を受ける。父の死後、兄の甚内が他藩に仕官したため、家を継いで通番から進物番・御城附となり、寛文二年(一六六二)知行三百石を与えられる。その後、鉄砲頭に移ったが延宝三年(一六七五)役職を免じられて寄合に入り、元禄六年(一六九三)七十歳で隠居し、愚入と号した。正徳二年十一月二日没、八十九歳。その道統は三枝新八信清(享保九年没)が継いだ。三枝は津田権之丞信之に貫流の槍術を学び、剣槍二術の師範であった。愚入居士。
墓碑銘は「当寺開基愚入居土」
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彦坂八兵衛の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
宮本武蔵 |
開祖 |
江戸時代前期の剣術家、「五輪書」 |
熊本県熊本市(3カ所)
北九州市小倉北区
岡山県英田郡大原町
名古屋市昭和区
千葉県市川市 |
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三枝新八 |
弟子 |
江戸時代中期の尾張藩士、槍術家(貫流) |
名古屋市千種区 |
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