名前 |
中台惇 |
よみ |
なかだいじゅん |
生年 |
安永五年十一月二十五日(一七七六) |
没年 |
安政元一月二十七日(一八五四) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩士 |
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略歴 |
林之丞・甫平・少右衛門・少介・子憤・葛園。庄内藩士中台曾太夫(直淳)の長男。18歳のとき父を失い文化2年(1805)に家督を継ぐ。学問を好んで藩の碩儒石川朝陽に師事し,多田宏廬,菅基らと交わりを深めて勉学に精励,かたわら囲碁をよくした。文化5年(1808)金土蔵役,同10年(1813)代官,文政元年(1818)書院目付,同12年(1829)勘定目付と要職を歴任,天保7年(1836)に隠居した。庄内津内における水野・竹内らのいわゆる恭敬・放逸両派の軋轢をその著「世の面影」にまとめて後世に残す。79歳で没す。著書「毛伝比興識」「本朝喪服文参考通鑑」「菖園稿」「世の面影」その他。(庄内人名事典)
墓碑銘は「葛園中臺君之墓」
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中台惇墓所 |
中台惇の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
石川朝陽 |
師 |
江戸時代中期後期の庄内藩士、儒学者 |
山形県鶴岡市 |
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菅基 |
交友 |
江戸時代後期の儒学者、庄内三大家の一人 |
山形県鶴岡市 |
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多田良助 |
交友 |
江戸時代後期の庄内藩儒、致道館助教、荘内三大家の一人 |
山形県鶴岡市 |
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