名前 |
高間春渚 |
よみ |
たかましゅんしょ |
生年 |
寛延四年(一七五一) |
没年 |
天明六年十一月二日(一七八六) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
商人 |
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略歴 |
名は明遠、字は季文、通称は増兵衛、春渚は其号、別に清環堂主人の号あり。府内赤塚街の富商なり。兄李溪、早く没す。春渚家を継ぎて善く母に事へ、又能く兄の子を視る。文学を好みて磯谷滄洲に師事す。又絵画を善くし、平生井上士朗等と相往来して五千の社を結ぶ。天明六年十一月二日没す。年三十。人悼惜せざる莫し。胎安道栄と諡す。[足台]安道栄居士。(名古屋市史)
墓碑銘は「春渚墓」。
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高間春渚墓所 |
高間春渚の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
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