名前 |
高間李渓 |
よみ |
たかまりけい |
生年 |
寛延元年(一七四八) |
没年 |
安永二年五月一九日(一七七三) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
儒学者 |
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略歴 |
儒家。名は政孝、字を元友、赤塚の富商高間政為の長子で寛延五年の生まれ、詩を好み、岡田挺之に師事した。碑銘に「枝頭雪満ちて三春を照らし、窓外香は飛んで掌上新なり、咋朝花発して今雨に逢ふ。総べて似たり紅顔薄命の人と、盖以て自況す」とある、死に臨みて弟春渚に後事を托した。安永二年(一七七三)五月一九日没(二六)。法名は体道了寛、碑文:岡田新川撰、橋本清斎書。
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高間李渓の墓 |
高間李渓碑文 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
岡田新川 |
師 |
尾張藩校明倫堂督学、墓碑撰文 |
名古屋市千種区 |
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高間春渚 |
弟 |
商人、趣味で絵を描く |
名古屋市千種区 |
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橋本清斎 |
墓碑書 |
江戸時代中期の医者、書をよくする。墓碑書 |
名古屋市千種区 |
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