人物総覧 す 尾張藩 弓術家 日置流竹林派

名前 杉山三右衛門
よみ すぎやまさんうえもん
生年 慶長七年(一六〇二)
没年 延宝三年十月二十九日(一六七五)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 尾張藩士・弓術家
略歴

 日置流竹林派弓術家。名は吉次、のち吉庸。通称三右衛門。祖父三浦半助義忠は三州に生まれ、岡崎の徳川家康に仕え、その子信康の家臣となった。義忠の嫡男喜兵衛吉次は外姓杉山氏を名乗り、松平忠吉が武蔵国忍に移封された時に召し出された忍新参衆。三右衛門の父半助は、義忠の第二子で本多忠勝に仕えたのち、紀州に住した。三右衛門もはじめ紀州藩主徳川頼宣に仕えたのち、尾張に移った。弓術を日置流竹林派の石堂竹林に学び、藩祖徳川義直(敬公)に召し出され、平岩弥右衛門の同心となり、その後弓役に任ぜられた。寛永八年三月二十一日、京都三十三間堂の大矢数を試み、通し矢二千七百八十四本へ総矢数四千九百五十一)で天下一となった。同十二年四月三日、同所で通し矢三千四百七十五本(総矢数六千八十二)で再度天下一となった。次いで同十四年三月十八日、通し矢五千四十四本(総矢数七千六石十一)で三度天下一の偉業を達成した。寛文十一年五月、三の丸門番頭となり知行高三百石を領した。延宝二年八月三日に没する。享年七十三歳。法名は覚春。釈覚春居士。
 墓碑銘は「杉山家之墓」。

杉山三右衛門の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
石堂竹林 戦国・安土桃山時代の弓術家。日置流竹林派の開祖。 名古屋市千種区
徳川頼宣 主君 江戸時代初期の大名(紀伊藩)、初代藩主、徳川家康の第十男 和歌山県海草郡下津町
和歌山県伊都郡高野町
徳川義直 主君 江戸時代初期の大名(尾張藩)、初代藩主、将軍家康の九男 愛知県瀬戸市
杉山見心 子孫 江戸時代中期〜後期の尾張藩士、茶人 名古屋市千種区