人物総覧 お 尾張藩 儒学者

名前 奥田大観
よみ おくだたいかん
生年 文政八年十月十日(一八二五)
没年 明治三十四年三月十一日(一九〇一)
場所 名古屋市千種区
分類 尾張藩儒者
略歴

 名は淑、字は季清、大観は其号なり。別に姑射髯仙、愛竹酒史、浪越遺老等の号あり。旧称を伝蔵といふ。尾藩士佐藤仁左衛門の第四子にして文政八年十月十日を以て生る。弱冠にして藩校明倫堂に在り、節を折りて書を読み、奥田桐園に識らる、因りて其嗣となる。桐園没するの後、伊勢に遊び斎藤拙堂の門に学ぶ。文久二年藩命を以て鎮西を歴遊す。後征長の役に従ひて功あり、又郡宰に挙げられて治績あり。明治元年学監に擢でられ、六年三重県典事に任ず。未だ数年ならずして致仕して知多郡大里村に帰休し、後復び東京に出でて、職を警視庁に奉ず。十八年郷に還り、居を楼天神同前に卜して、大観塾を開き、専ら育英の事に従ふ。暇あれば詩を賦し、画を作り、以て自ら娯む。明治三十四年三月十一日病みて没す、享年七十七。没するの前、自ら死期を余知す。人以て異常とす。子に抱生あり。真空季清居士。(名古屋市史)
 墓碑銘は「奥田大観先生」。合葬墓。

奥田大観墓所

奥田大観の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
浅井篤太郎 門下 明治時代の医者 名古屋市千種区
市野天籟 門下 幕末の儒学者。維新後教師。 名古屋市千種区
稲垣秋甫 門下 明治初期の女子教育者。 名古屋市千種区 見あたらず
奥田桐園 養父 江戸時代後期の儒家、鶯谷の長子 名古屋市千種区
奥田抱生 子息 明治〜昭和初期の教育家。奥田大観の子 東京都新宿区
名古屋市千種区
斎藤拙堂 江戸時代後期の伊勢津藩の儒学者、藩校有造館督学。 三重県津市

ゆかりの地リンク
    那古野神社(明倫堂跡) 中区丸ノ内2-3