人物総覧 い 尾張藩 国学者

名前 市岡和雄
よみ いちおかにぎを
生年 生年不詳
没年 明治四年八月六日(一八七一)
場所 名古屋市千種区
分類 尾張藩士・国学者
略歴

 初名は猛正、通称は辰五郎、後犇蔵と改む。猛彦の子なり、文政十年家を継ぎて馬廻組に列し、十二年小性となりて前藩主斎朝に侍す、依りて歳俸百五十俵を賜ふ。尋いで小納戸格小性となり、後書院番格、大番、本丸番等に転ず、家学を承けて、尤も歌を善くし、門下頗る多し、当て夕朝顔の題を得て歌を詠ず。「明日咲かむつぼみばかりに成にけり、暮るゝまがきの朝顔の花」。人其巧思を称す、人となり憤慨、深田精一、茜部相嘉、中山清雄等と共に金鉄党の首領に推さる。性酒を嗜み酔へば則ち剣を抜きて地を斫る。人皆之を畏る。其江戸に在るや井上文雄、千葉葛野、寺山吾鬘等と交り、常に其歌文の先に列す。明治四年八月六日没す。[木解]戸院和雄信士と法諡す。著す所思出草、あなかま草紙等あり。(名古屋市史)
 墓碑銘は「市岡和雄之墓」。

市岡和雄墓所

市岡和雄の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
茜部相嘉 金鉄組 江戸時代後期の尾張藩士、金鉄党 名古屋市中村区
市岡猛彦 江戸時代中期の尾張藩士、国学者 名古屋市千種区
市岡陸子 江戸時代後期の歌人、市岡猛彦の妻 名古屋市千種区
井上文雄 親交 江戸時代後期の国学者、医者 東京都台東区
花橋春渓 弟子 幕末の医者、明治期の教員 情報求む
加藤琵琶彦 弟子 江戸時代後期の名古屋小間物商、狂歌師 名古屋市千種区 見あたらず
千葉葛野 親交 江戸時代後期の国学者、俳人 長野県飯田市
東京都練馬区
寺山吾鬘 親交 幕末の尾張藩士、国学者 名古屋市千種区
徳川斉朝 主君 江戸時代後期の大名(尾張藩)、10代藩主 名古屋市東区 残骸のみ
遺骨は瀬戸市
中山清雄 金鉄党 金鉄党 情報求む
深田精一 金鉄党 江戸時代後期の儒者、香実の長男、金鉄党 名古屋市天白区

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