名前 |
山岸嘉右衛門 |
よみ |
やまぎしかえもん |
生年 |
生年不詳 |
没年 |
元治元年十二月二十二日(一八六四) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
出羽松山藩付家老・庄内藩士 |
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略歴 |
貞固・六太夫・子幹。庄内藩士山岸嘉右衛門の子※1。天保2年(1831)100石の家督を継ぎ、買物方、代官、郡奉行、預り地元締を歴任する。碩儒白井矢太夫に学び、嘉永2年(1849)庄内藩校致道館の助教兼司業となる。翌3年10月転じて庄内松山藩の付家老を命ぜられる。安政3年(1856)8月鶴岡の宗藩に戻って郡代に進み、加増を重ねて300石(うち役料100石)を給され、翌4年1月からは致道館の学監・司業をも兼ねた。在職中に没する。(庄内人名辞典)※2
墓碑銘は「子幹山岸府君墓」
※1山岸嘉右衛門貞固は、富田利隆の三男で、利隆の外舅にあたる山岸家に養子に入っていると、墓石の側面の碑文にあります。(富田さまご指摘)
※2 参考文献を追記しました。
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山岸嘉右衛門墓所 |
山岸嘉右衛門の墓 |
山岸嘉右衛門の墓側面 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
白井矢太夫 |
師 |
江戸時代中期〜後期の庄内藩士、藩校致道館の創設 |
山形県鶴岡市 |
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山岸貞文 |
養子 |
幕末の庄内藩士、維新後松ケ岡開墾を指揮、第六十七国立銀行頭取 |
山形県鶴岡市 |
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