名前 |
三宅弁治 |
よみ |
みやけべんじ |
生年 |
天保十三年六月二十日(一八四二) |
没年 |
明治四十四年五月一日(一九一一) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
官吏・鶴岡町長 |
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略歴 |
金五郎・正敏。庄内藩士三宅高光の子として鶴岡七軒町に生まれる。安政元年(1854)13歳のとき藩校致道館に入り、同5年(1858)世子酒井忠恕の近習に選ばれて江戸に在勤する。さらに忠寛、忠宝の近習もつとめた。慶応3年(1867)藩命により大鳥圭介に英学を学んだほか、槍・剣・砲・弓等の術を修めた。翌4年の戊辰戦争では指図役として清川口、秋田由利郡等で転戦し、越後方丈山において戦傷、維新後は忠宝の近習に復し、明治5年(1872)より3年間松ケ岡開墾に従事した。同8年(1875)8月第六大区四小区戸長、以来東西田川・飽海の各地区で戸長をつとめる。同22年(1889)3月西田川郡鶴岡町事務執行、同年6月町制施行とともに初代鶴岡町長に選ばれて同32年(1899)6月まで在任した。勝村亮恭が7月代って町長となり、三宅はそのもとにあって同34年(1901)6月までの間助役を勤めた。70で没。(庄内人名事典より)
墓碑銘は「光明三宅弁治墓」
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三宅弁治墓所 |
三宅弁治の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
大鳥圭介 |
師 |
幕末の幕臣、幕府歩兵奉行、維新後外交官、枢密顧問官、男爵 |
東京都港区 |
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大沼伊八 |
批判 |
明治期〜昭和期の木綿織物工場経営者 |
山形県鶴岡市 |
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勝村亮恭 |
二代目 |
明治期〜昭和期の警察官、2代目鶴岡町長 |
情報求む |
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酒井忠恕 |
主君 |
江戸時代後期の庄内藩世子、急逝 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
松ヶ岡開墾場 |
山形県東田川郡羽黒町猪俣新田 |
松ケ岡開墾に参加 |
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