名前 |
正木梅谷 |
よみ |
まさきばいこく |
生年 |
安永八年(一七七九) |
没年 |
慶応一年九月四日(一八六五) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩儒者 |
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略歴 |
名は時宏、字は達夫、梅谷は其号なり。小字は源太郎、後右衛門八、三郎右衛門と称し、又三郎兵衛と更む。藩の小吏左源治時直の良子なり。少うして学を好み、藩校明倫堂に入りて冢田大峯に学ぶ。文化九年明倫堂典籍見習に挙げられ廩米四十二俵を賜ふ。次いで教授となり累りに禄を増して二百五十俵に至る。天保十四年督学に陞り越えて二年数導の宜しきを以て又五十俵を加ふ。嘉永六年書物奉行に転じ安政六年再び督学となる。翌年歳八十元旦詩あり、曰く「此身無愛恙又逢春、犬馬年高已八旬、精爽未衰猶奉職、自驚我是七朝臣」。盖し実を紀するなり、藩主其寿を祝して鯉魚を賜ふ。堂中の諸士亦詩筵を開いて祝せんとし、之を官に請ひて允さる、乃ち三月二十八日を以て之を行ふ。復た紅魚の賜あり、人以て栄とす。文久元年老齢職を執るの難きを察し徒頭格に遷し、翌年世禄を増して五十俵とせらる。元治元年老を告くるに及びて、隠居料俸十口を賜ふ。初め寛政五年側大寄合支配となりしより職を歴ること茲に七十二年なり。慶応元年九月四日没す、享年八十五。清廉院確翁日岳居士と法諡す。其詩梅谷詩鈔あり。(名古屋市史)
墓碑銘は「清廉院確翁日岳居士」。碑文あり。
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正木梅谷墓所 |
正木梅谷の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
冢田大峰 |
師 |
江戸中期後期の漢学者、寛政の五鬼 |
名古屋市千種区 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
明倫堂跡 |
愛知県名古屋市
中区丸ノ内2-3
那古野神社
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九代藩主宗睦が藩士の子弟の教育のため天明三年(一七八三)に設立した学問所。初代総裁は細井平洲。明治四年(一八七一)七月二十八日廃藩置県の結果廃校となった。
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