人物総覧 ほ
 庄内藩 商人

名前 本間光暉
よみ ほんまこうき
生年 享和三年四月六日(一八〇三)
没年 明治二年八月二十一日(一八六九)
場所 山形県酒田市
分類 大地主
略歴

 酒田本間家5代当主。通称を外衛、閑楽と号した。本間弥十郎(光敬)の次男として酒田に生まれ、本間家4代本間光道の養子となり文政8年(1825)家督を継ぐ。本間弥十郎は本間光丘の弟光治の子にあたる。天保3年(1832)庄内藩が幕府から日光廟修繕のため三万両の献金を命ぜられた折りに光暉は一万両を献じ、翌4年から5年にかけて発生した大飢饉の時は、酒田が傷寒病による死亡者が最も多く、その救済に豪商白崎五右衛門らと尽力した。天保11年庄内藩に対し長岡転封の幕命が下りると、光暉は転封資金として四万二千五百両を負担したほか、農民の転封阻止運動を支援した。さらに天保14年に印旛沼疏水工事にも多額の資金を調達している。嘉永6年(1853)に庄内浜沿岸防備のため荻野流大砲五門を献上し、江戸藩邸の修繕費、品川沖御台場警備費等を献上するなど藩の軍事費の協力に尽力、これらの功績に対して藩は光暉に郡代次席の処遇を与えている。晩年は、遠州流茶道を嗜んでいる。文久3年(1863)8月隠居し、家督を長子光美に譲る。(庄内人名辞典、三百藩家臣人名事典より)
 墓誌に「一心院釋閑楽」



本間家墓所

本間光暉の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
酒井忠器 主君 江戸耳朶後期の大名、出羽庄内藩十四万石酒井家第8代 山形県鶴岡市
白崎五右衛門 飢饉救済 江戸時代後期の酒田の豪商 山形県酒田市
本間光貞 一時養子 幕末〜明治期の地主、庄内藩士 山形県酒田市
本間光道 養父 江戸時代中期〜後期の豪商本間家4代、庄内藩士、鳥海山噴火の罹災民を救済 山形県酒田市
本間光美 長男 江戸時代後期〜の大正期の豪商、本間家6代、庄内藩士、戊辰戦争で軍資金を提供 山形県酒田市
本間光輝 明治期〜大正期の豪商、本間家7代、育英事業 山形県酒田市


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
旧本間邸 山形県酒田市
  二番町12-13
本間家3代当主本間光丘が巡見使御宿として明和5年(1768)に造築し、昭和20年(1945)春まで本間家の本邸として使用された。