人物総覧 は 尾張藩 医者

名前 服部艸玄
よみ はっとりそうげん
生年 享保十年(一七二五)
没年 天明七年四月三十日(一七八七)
場所 愛知県名古屋市昭和区
分類 尾張藩医
略歴

 名は宏、字は子達、石村と号す、艸玄(草玄)は通称。愛知郡石仏村(名古屋市昭和区石仏)に生まれた。先祖善昌は織田信長の将佐久間信盛に仕え、信盛が罪を得ると石仏に退隠した。艸玄は五代の末。儒を中西淡淵に学ぶが、後医を志し渡辺寿伯に真南画。26のとき上京し、松岡恕庵、香川秀庵、山脇東洋、吉益東洞といった名家のもとで研鑽を積んだ。良医として知られ、宝暦11年(1761)、尾張藩主徳川宗勝が病に臥しすと、翌年十人扶持を給された。宝暦13年法橋、安永3年(1774)法眼、後奥医師に進み、禄を増して三百石。細井平洲が尾張藩に招かれるとき、人見弥右衛門の命により周旋の労を執った。正眼院廓性体然居士。
 墓碑銘は「法眼服部先生之墓」。

服部艸玄墓所

 
服部艸玄の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
香川修庵 江戸時代中期の医師 京都市右京区
徳川宗勝 主君 江戸時代中期の大名(尾張藩)、8代 名古屋市東区 残骸のみ
遺骨は瀬戸市
中西淡淵 師(儒学) 江戸時代中期の儒者、尾張藩付家老竹腰氏家臣 東京都港区
人見弥右衛門 交友 江戸時代中期の尾張藩士、治水家 名古屋市昭和区
細井平洲 江戸時代中期〜後期の儒者、藩校明倫堂総裁 東京都台東区
松岡恕庵 江戸時代中期の本草家、薬物鑑定 京都市右京区
山脇東洋 江戸時代中期の医師、日本で最初の解剖を行う。「蔵志」 京都市中京区
京都市伏見区
吉益東洞 江戸時代中期の医師、「類聚方」 京都市東山区