人物総覧 な 尾張藩 剣術家 新陰流

名前 長岡桃嶺
よみ ながおかとうれい
生年 明和元年(一七六四)
没年 嘉永二年八月十三日(一八四九)
場所 愛知県名古屋市昭和区
分類 尾張藩士・剣術家
略歴

 名は房成。通称は惣三郎・五左衛門。桃嶺は号。長岡佐助房吉の養子となり、寛政六年(一七九四)家禄二百石を継いで馬廻、ついで寄合に列する。養父の房吉は尾張柳生家五代・柳生六郎兵衛厳儔の三男で、長岡五左衛門房英の養子となった人だった。桃嶺は家芸の剣術を修めるとともに、養祖父・房英より柳生制剛流居合術を伝受して指南した。尾張柳生本家の当主(道機斎厳春)が没したとき、その嗣子が幼少であったため後見となり、藩の師範を代行していた。天保四年(一八三三)隠居して家禄を子権六房懼に譲る。桃嶺は、また学問を好み、詞章にも深く通じていた。嘉永二年八月十三日没、八十六歳。法号は仙寿院真源桃嶺居士。
 墓碑銘は「長岡桃嶺翁墓」。

長岡桃嶺の墓